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 昼休み、晴天のもと、いつひはフライドチキンにかぶりついた。
 屋上で昼食を取るいつひの横には豚トロ炙りチーズマヨおにぎり、チーズバーガー、炭酸飲料が詰め込まれたレジ袋が置いてあった。ノーベジタブル、脂質糖質カロリーの詰め合わせだ。いつも以上の惨状ではあるが、これは光汰のせいなので今回の分の余分なカロリー、塩分、トランス脂肪酸等々は全部光汰に移動する、と思い込みながら食べる。
 更にその横には焼肉弁当を食べている重光。この焼肉弁当、有名店のデリバリーだ。
 ちなみにこの屋上は重光が暴力で奪い取った領地である。それにしれっと便乗し利用しているのがいつひだ。
「イッヒーさあ、結構食べるのに大きくなんねーな」
「あ゛?」
 重光がニヤニヤと顔を緩ませてからかってきた。上機嫌のようだ。いつひはフライドチキンを包んでいた紙をくしゃくしゃと丸めながら重光を睨み上げた。
「武藤くんがデカすぎるんだよ。育ちすぎ。過成長」
「まだ大きくなるけど」
 さもそれが当然のように答えた重光は、おしゃべりの間に麻婆豆腐丼を綺麗に平らげ、スタミナ丼を食べ始めている。いつひは怒らせていた肩を落とし「それ以上巨人になったらもう住む世界が違うよ……」と雑な感想を返した。
「二七〇センチくらいのやついるじゃん」
「ギネスの人でしょ。武藤くんは今くらいが良いよ」
 辟易しかけたいつひに適当に認めてもらった重光はますます機嫌を良くしたようで得意げな表情を浮かべてスタミナ丼を大口に頬張った。
「五歳かよ……」
「十五だ」
 単純な重光に呆れたいつひがボソリと呟いたのをしっかり拾った重光が訂正する。「すごーい、武藤くん自分の歳分かるんだね!」という嫌味が喉元まで出かかっていたが、もう面倒くさくなってきていたのでチーズバーガーと共に飲み込んだ。
 重光といつひが出会ったのは小学二年生の梅雨の頃だ。重光のクラスにいつひが学区外転校でやって来たのがきっかけだったが、あの頃から暴君ぶりを発揮していた。
(まあ、そのお蔭でボクは楽しい人生を歩めてるわけだけど)
 いつひがジュースをちびちび飲んでいる間に、重光はスタミナ丼をこれまた綺麗に平らげてしまっていた。口の端についてしまったタレを舌でぺろりと舐めた重光は自分の出したゴミをまとめると立ち上がる。
「あ、武藤くんボクのゴミも——」
「やだ。イッヒーが出したゴミはイッヒーが片付けるのが筋」
「チッ」
 口を尖らせたいつひなど構わず、重光は自分ペースにゴミ捨てに向かうため一旦屋上をあとにする。あれで実は綺麗好きなところがあってゴミはすぐに捨てたいらしい。
 残していた豚とろ(略)おにぎりを頬張ったいつひの視界の端に人影。あれ、武藤くん戻ってくるの早いな、と見遣るがそこにいたのは重光ではなかった。
 少々小柄の男子生徒だ。上履きの色からして同じ一年生のようだが、彼はいつひの存在に全く気付く様子もなく、どこか夢うつつな様子で前をすーっと通り過ぎて行った。
 何をしに来たのだろうか、と訝しく思いながら一年生の背中を眺める。なんとなく、希薄な背中だ。それこそ今にも消えてしまいそうな。
 頼りない足取りの一年生は屋上の端まで向かい、フェンスに手をかけた。
 なんだか、非常にまずい気がして、いつひは思わず腰を浮かせていた。フェンスの高さは二メートルと少しくらい。容易によじ登り、越えることが出来る高さだ。
 しばらく一年生はフェンスに手をかけたまま動かずにいたが、不意にフェンスから手を離した。凝視しているいつひをよそに、彼は打って変わって確かな足取りで来た道を戻っていく。まるで魂を取り戻したかのようだ。いつひの存在にも気付いたようで、目が合ったが彼が特にリアクションをすることはなく、何事もなかったかのように屋上から出ていってしまった。
「息抜きかな……?」
 目をパチパチと瞬かせ、首をひねったいつひはおにぎりの残りにかぶりつく。こんなに美味しいのに武藤くんは損したなぁ〜、などと優越感に浸ってみる。
 先程の彼と目が合ったときに顔をしっかり確認することが出来たが、あれは空手部期待の一年生、阪崇仁ばんたかひとだ。五月の県新人戦で優勝したと掲示されていた校内新聞の見出しになっていた。
「イッヒー、ここ、誰か来てたのか?」
 最後の一口を食べているところにゴミ捨てから戻った重光が声をかけた。屋上までの階段で崇仁とすれ違ったらしい。
「何かぼーっとしてここまで来ちゃったみたいだったけど。もう来ないんじゃないかな」
「あっそ」
 タイミングが良くてよかった、といつひはこっそり胸を撫で下ろした。鉢合わせしていたら「腹ごなしの運動」などと言って絡みに行ったかもしれない。重光は最強のボディガードではあるけれど、いつひは自分に害を為していない人間の痛々しい姿を見たいわけではない。それにあの崇仁の様子は見ず知らずのいつひにさえ心配の念を抱かせた。
「さっきの子、一年生だけど空手の県代表になるかもって言われてる子だよ。知らない?」
「へえー、遊べそう」
「違う! バカ!」
 目を輝かせ、崇仁を追いかけようとした重光にいつひは慌てて飛び蹴りする。む、と眉を寄せた重光にいつひは「県代表候補を壊したら、さすがに武藤くんのお祖父ちゃんも怒るから手を出しちゃ駄目だよ、って話だろ!」と目を剥いて喚いた。
「……」
 いつひが必死に言っているというのに重光はまだピンと来ていない様子で「何で、山葵わさびさんが怒んの?」と首を傾げている。『山葵さん』というのは重光の祖父の名前だ。彼は家族のことは名前で呼ぶ。
「武藤くんのお祖父ちゃんは、佐波沼の有力者でしょ?」
 重光は頷く。佐波沼市の復興に尽力し、現体制の地盤を築いた人である。
「他の自治体から『星憑がいて得体の知れない場所』って思われてる佐波沼市から立派なスポーツマンが出るとするでしょ。そしたら、お祖父ちゃんとしては嬉しいはずなんだよ。自分がまとめてる佐波沼が認められてるんだから」
 今度は、重光は首を傾げながら頷いた。あまり納得していないようだ。
「わかんなくてもいいけど、とりあえずやたらめったら喧嘩ふっかけんなって話!」
 重光に理論を説くことが間違っていた、といつひは雑に話を締めた。
 いつもどおり話の通じない幼馴染より、様子のおかしかった崇仁のほうがいつひは気にかかった。一年生ながら県代表、万事好調のはずの崇仁があそこまで思い詰める理由は何なのか。
「ねえ、武藤くん。人助けしない? 『人助け』」
 重光の腕を引っ張って、いつひは目を輝かせて笑った。
「まーた他人ひとのことに首突っ込むのかよ」
「武藤くんだって他人の喧嘩に首突っ込むでしょ? 一緒一緒」
 辟易とした表情を浮かべた重光の反応など全く意に介さないいつひは飄々と返す。
「それにもしかしたら暴力沙汰になるかもしれないよ?」
 ちらり、重光の様子を窺ういつひ。とはいえ、彼がどんな反応を示すかなど分かりきっている。重光を誘う殺し文句は先程いつひが放った言葉そのものなのだから。もちろん彼の望む展開になるとは限らないけれど、いつひの目的は重光を巻き込むことなのでその辺は瑣末な問題に過ぎない。
 いつひは自分が度々襲われる理由を重光のせいだというが、その実、その何割かはいつひ自身の問題であることは口にしないのだった。

 ◆◆

 保見が目を覚ますと目の前に顔があった。
 見開かれた目ととろんとしただらしない口元。
「!?」
 瞬間的に危険を感じ取った保見は跳ね起きようとしたが、身体は全くついて来なかった。頭が少し動いたくらいだ。それもそのはず、保見の身体は可動式の台の上で仰向けにされ、簀巻きのように複数本のベルトで縛り付けられていた。
「あー、起きたのぉ?」
 目の前の男は小さく首を傾げて保見に声をかけた。何だお前は、ここは何処だ!? と訊こうとしたのに口も粘着テープで封じられていたため、出てきたのはくぐもった音だけだった。男──いや見た目は保見よりも少し年下のようで”少年”と言ったほうがしっくり来る──は口元に手をやりながら「なんて言ってるか分かんないよぉ」と首を左右に傾ける。
 一箇所だけビビッドピンクのメッシュが入った紫がかった白い髪、メッシュと同じような色の瞳。この見た目なら一度話をすれば覚えていそうなものだから、初対面だ。なんの目的があって自分を襲い、連れ去ったのか。それに意識を失う直前まで一緒にいた北川はどうなったのか。疑問が次々と浮かぶが解消するすべはない。
 少年が覗き込むのをやめたため、保見の目は天井を映した。緑がかった白の天井、保見を照らすのは医療ドラマで見たことがある——無影灯だった。自分は今、全身を拘束され手術台の上にいるのではないか。自分の置かれている状況を察した保見は心臓が大きく跳ねた気がした。鼓動が激しく、速くなる。恐ろしいことに巻き込まれる予感がする。
「ええとぉ、この人が起きたらぁ……連絡しなきゃいけなくてぇ」
 冷や汗をかき始めた保見の横で少年はブツブツと独り言をしている。何か手はずがあるようだった。どこに連絡するのか、と耳をそばだたせた保見の耳朶を叩いたのは少年の言葉の続きではなく、こちらに近づいてくるコツコツという足音だった。
「貴方のその──考えたことをいちいち呟く癖。直しなさいと言ったはずですが?」
 新しい声。少女のものだ。感情のない、無機質な声色。
「あーうー……、ごめんなさいー。あのぉ、とおるくんはぁ? オレくんとおるくんと一緒がいいのにぃ……」
 甘えた声で少年。立場に上下があるのだろうか。保見は状況を探るため黙っていることにした。
「あの方は別件で出ています。何か、わたしだと不都合でも?」
 少年の甘い声に少女が返すのは冷たい言葉。彼女は保見の周りで何やら作業をしているようだった。少女が動くと布が擦れる音が多く聞こえる。
「とおるくんのほうが優しい……」
 ピタ、と少女の動きが止まる。それから大きな、大きな深い溜息。少女が怒っているのと少年が怯えているのが保見にも肌に触れるように分かった。それにしても少年は考え無しなのだろうか。黙っていれば少女もここまで気分を害することは無かっただろうに。
「……あの人は優しいとかじゃなくてただ舐められているだけでしょう」
 少女は小声でぼそりと恨みがましく呟いた。保見はなんとか聞き取ることが出来たが少年は聞き取れなかったようだ。「え? なんて言ったのぉ?」と心配そうに尋ねている。少女がそれに答えることはなかった。
「妙なグループを率いている割にはおとなしいのですね。もっと暴れて抵抗するかと」
 少年の相手をするのをやめた少女は保見をしげしげと覗き込みながら呟いた。灰みがかった青緑の瞳、髪は深海を思わせる深い紺色。目の少し上でまっすぐに切り揃えた前髪、横と後ろの髪は顎辺りでこれまたまっすぐに切り揃えられている。
 保見が睨みつけると、人形のような少女は小さな嘲笑を浮かべた。
「言われて反抗的な態度を取るなんて可愛らしい」
「──ッ!」
 カッとなった保見は身を起こそうとしたが体を縛るベルトが思い切り食い込むだけに終わる。うめき声を漏らした保見に少女は冷ややかな視線を送った。
「さて、貴方には手伝いをして頂きます。その準備として身体を少し弄りますが、了承くださいね」
「えっ、いちかちゃんも出来るのぉ?」
 少女の後ろからのほほんとした少年の声が飛ぶ。瞬間、少女の顔が怒りで強張った。ナイフを振りかざすように振り向くと鋭い語気で言う。
「貴方、邪魔しかしませんね。黙ってなさい」
 少年が息を呑む音が聞こえた。さすがに懲りたのだろうか、今度はかなり萎縮して気配も消しているようだった。しばらくしてカラカラとキャスターの音。冷たい金属音は処置台の上に『身体を弄るための何か』を準備しているようだった。それから左腕部分の拘束ベルトが緩められる。
「今回は成功するといいんですが──成功すれば貴方の活動星憑き解放戦線も順調に進みますよ」
『前回』は『失敗』したのか——と目を見開いた保見の意識はプラグを抜いたパソコンのようにぷつりと潰えた。