1-1

 星が落ちてきた、のかもしれないし、地球が星に突っ込んだのかもしれない。

 ◆◆

 体を拳で打ちつける音が一定のリズムをもって響く。なんてことない、路地裏での小競り合い――いや、というよりは一方的な暴力だった。加害者被害者どちらも高校生くらいの男子に見えるが、加害者はずいぶんと大柄だ。身長190cm以上あるだろう。そして被害者の方はとうに限界を迎えているらしい、足元はふらふらと覚束ない。
 加害者が舌打ちをしながら被害者の足元を掬った。そのまま崩れるように倒れた被害者の意識は朦朧としている。
「だらしのないヤツだな、このくらいでヘバってどーすんだ」
 加害者は蔑みの視線で被害者を見下ろした。『このくらい』と加害者は言うがかれこれ15分は先程のようなことをされていて、被害者に言わせるなら「今までのことが『このくらい』で済むもんか!」といったところだ。
武藤むとうくん、もう終わった?」
 そこにひょっこりと顔を覗かせたのはオレンジ色の長袖ジャージとハーフパンツ、鮮やかな緑のスニーカーという遠目から目立つ格好の人物。大きな菖蒲色の瞳は「武藤くん」と呼んだ加害者を見ている。それから右手の紙袋を掲げた。最近評判のキッチンカーのものだ。足元の被害者に出会う直前、神出鬼没で名高い件のキッチンカーを見かけたので財布を渡して買いに行ってもらったのである。
「言ってたお弁当。買ってきたよ」
「おー、さんきゅ」
 それを見た武藤くんこと、武藤重光しげみつは顔をほころばせた。
「っていうかタイミング良すぎな、イッヒー」
 被害者を適当に蹴り飛ばし、重光は弁当を貰おうとイッヒーこと、賀川かがわいつひのもとへ向かう。
「武藤くんのことくらい大体わかるよ」
「おー、そっかそっか。さすがイッヒーだな」
 すごいすごい、と言ってはいるが目線は完全に弁当しか見ていない。あまりに適当なその態度をいつひはもちろん良くは思わずあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。袋を自分の後ろ側に隠す。手を伸ばしていた重光は目をしばたたかせてからいつひをまじまじと見つめた。
「……何だよ」
 どうしていつひがこんなことをするのか分かっていない重光は不満そうに口先を尖らせる。
「なんか、ボクめっちゃ使いっ走りじゃん」
 いつひの不満声が意外だったのか、重光はきょとんとして首を小さく傾げた。重光はこういうあどけない仕草が度々見られ、しかも何故か似合ってしまう大男だった。
「ちゃんと『さんきゅ』って言ったけど」
「そうだね、ボクもちゃんと聞いた。はい、どうぞ」
 この調子でいくと自分の求める結論に達するまでに相当な時間が必要だと結論づけたいつひはすんなりと重光に弁当を渡した。なんとなく腑に落ちないものがある重光だったがそれよりもお腹がすいた。“運動”したあとには食べ物が必要だ。
「イッヒーたまによくわかんないことするよな」
 袋の中身を確認しながら重光。数量限定の味噌チーズハンバーグランチ大盛りポテト付き弁当。数量限定というだけあってなかなか巡り会えなかったのだ。重光の目がキラキラと輝く。暴力をふるっていたときのらんらんとした瞳とはまた少し違う。
「武藤くんに言われたくないかなー」
 ボソッといつひはこぼすが、重光から芳しい反応が返ってくることは当然あるわけがなく「どこで食べよっかな」とニコニコ顔でそのことしか考えていないようだ。
 本当にご飯のことになると子どもみたいなんだから、と思いながら重光に嬲られて倒れている男と重光とを見比べる。
 いつひと付き合いの長い友人である重光は見ての通り、傍若無人の暴力男だ。目つきも悪けりゃ口も態度も悪い。もちろん、こう見えて実は気の優しい男……なんてことはなく、気に入らないことがあるとすぐに不機嫌になって暴れ出す、精神年齢が小学生(あるいは小学生以下)から成長していないような高校一年生である。
 しかしその暴れようといったら尋常では無い。
 大の男が束になってかかっても重光はごく平然と彼らを返り討ちにする。
 いま倒れている男が悲惨なことになっているのも、重光の不機嫌が原因だ。昼食を食べようと入った店で頼んだメニューが思ったより量が少なかったことと重光の口に合わなかったということがあり、むかっ腹を立てていたのである。そんな重光に、歩きながらスマホを触っていた男はぶつかってしまい、さらに【謝らない】という行動を選択してしまった。その結果、首根っこを掴まれて路地裏へ連れ込まれてご覧の有様、だ。
 歩く天災のような重光はその名を街中に轟かせていて、積極的に関わり合おうとする人間はほとんどいなかった。
 だから、その横に平然と並ぶオレンジ色のジャージ、賀川いつひの存在はいささか異質に見える。重光よりも二回り、三回りくらい小さく体格も華奢なものだ。そのいつひが重光に付き従っているならともかく、重光に対して平然と振る舞うのだから、違和感を覚えるのも当然とも言える。
「お弁当食べるのなんか、どこでも一緒じゃないの?」
 いつひがこぼすと、重光は一瞬目を見開いて驚き、それから呆れたように首を振った。
「イッヒーはわかってねーな。こんな暗ーいところで食べても全然楽しくないだろ」
「あ、っそ……」
 いつひも呆れ返す。「なぜ呆れるのか」と重光から非難の視線が一瞬飛んできたがそれを躱す。すると重光は「よし、食べに行く」とすぐに切り替えた。こちゃこちゃ言っているより食べに行ったほうがいいな、といつひも思ったので「石坂橋の下の河原でいいんじゃないの」と提案する。
「うん、そーすっか」

 ◆◆

 武藤重光と賀川いつひは佐波沼さわぬま市にある国立龍行たつぎょう高校の一年生だ。重光は先程少し説明した通りの超級問題生徒であるが、その重光と大抵いつも一緒にいるいつひもまた、それなりに問題生徒扱いされている。
 いま、重光といつひは授業をサボタージュして石坂橋へ向かっているわけだが、二人が歩いている周辺の建物の様子はやたらと画一的で建てられた時期もほぼ同じに見える。その画一的な風景は佐波沼市全体に渡っている。というのもその通り佐波沼市周辺の建物はある時期に一気に建てられたものがほとんどなのだ。
 何故か。
 理由は至ってシンプル。佐波沼市は十三年前、一度壊滅している。
「そういえば武藤くん、昨日の夜の流星群見た?」
「見てない」
「だろうねぇ」
「じゃあ聞くな」
 道中いつひが尋ねる。昨晩は、みずがめ座η流星群が佐波沼市でもよく見えると数日前から報道されていた夜だった。いつひは「流れ星がたくさん見れるのかぁ」とふと思いつきで外に出て夜空を見上げていたのだ。
「きれいだったよ」
「そーか」
「落ちてきそうなくらいだった」
 せっかくの流星群観測の機会だったのだが佐波沼市民で昨晩の流星群を見た人間は少なかった。それどころかカーテンを閉め切って外の様子を見ようとしない人もいた。
「たぶんねぇ、十三年前もこんな感じだったんだろうなあ」
 十三年前、佐波沼市とその周辺地域は彗星が引き連れてきた流星の一つによって壊滅した。
 そのため『流星群』という言葉に恐怖を感じる佐波沼市民も少なくはない。
「ん? 昨日は落ちてねーぞ」
「……武藤くーん、比喩だよ、比喩」
 なんか雰囲気ぶち壊しじゃん、といつひが肩をすくめると重光もまた肩をすくめ返した。
「ってか武藤くんだって、あ」
 小さく声を上げる。そういえば重光はその流星雨で家族をなくしている。その後に続く言葉は迂闊だったかもしれない。だから途中で言葉を止めた。
 しかしいつひが声をあげたことが気にかかったのか、重光はいつひを見下ろした。何か言いかけたなら言え、ということのようだ。
「ん、えっと、武藤くんは十三年前の隕石で」
「母さんと兄貴が死んでるな」
 もごもごとぼかすように言葉を口にするいつひとは対照的に重光はサラリと言ってのけた。それから「そんなことが言いたかったのか?」といつひに訝しげな視線を送った。
「言いたかったわけじゃなくて、避けたのを武藤くんが言わせたんじゃん」
「避けた……なんで?」
 重光は首を傾げて聞く。いつひは眉を下げた。
「人の家族の死の話題を普通の人は避けるもんだと思うし、話してても悲しいでしょ」
 どうしてここまで解説を入れなければいけないのか、と自問しつつ重光の表情をうかがい見ると、それでもまだ不思議そうにしている。
「少なくとも、ボクは悲しいの。だから終わり終わり」
 こうやって強制終了させておかないと「悲しくないから話してもいーよ」とか言い出すに違いない。もう10年近くにもなる付き合いだから大抵のことは分かっているつもりでいるが、それでも重光は時折こうやっていつひの想像の斜め上を行ったりするから計り知れない。それがまた面白いのだけれど。
「そういやイッヒー、知ってっか?」
 素直に話を変えてくれたようだ。
「何を? 正直ボクが知らなくて武藤くんが知ってることって無いと思うんだけど」
「失礼発言についてはスルーしてやる。さっきから俺たちはずっとつけられてるってこと」
 なるほど、そういうことならボクはわからない。
 その行動から恨みを買いやすい重光だが正面から挑んでどうにかなる人間ではないと思った相手の中には奇襲をかけようとする者も一定数存在する。尾行されるということに重光は慣れっこ、故に生半可な尾行などすぐにバレる。
 いつひは体を動かさずに後ろに視線だけを遣る。それから重光にヒソヒソ声で「相手は何人くらいなの」と尋ねた。重光は「3人くらい」と普通の声量で返事する。
 こっちが小声で言っているから雰囲気くらい感じ取ってくれればいいのに。といつひは重光のマイペースに少し渋い顔をした。
「で、どうすんの。俺行ってきていいの」
 そんないつひに尋ねかける重光。表情はとても明るく、お楽しみを前に逸る気持ちを抑えられないようだ。傍若無人な暴力男武藤重光は同時に暴力を楽しんでいる節もある。本当に理不尽で最低なのだ。
 “形式上”尋ねた重光にいつひは「どうぞ」とうっすらため息混じりに返事した。仮に「やめて」と言ったって駄々をこねて最終的にはいつひの意見などお構いなしで行ってしまうのだから。とはいっても「やめて」と言う理由はないし、放っといたらいつひが危険な目に合うかもしれない。害虫は気づいた時点で駆除しないと。
 重光が後ろを向いたのでいつひも半身だけ振り返る。ビクッと肩を震わせて目線を逸らした者、歩みを止めた者が目に入り、いつひでさえ「この人たち尾行してたんだな」と分かった。
 重光は白けた表情で尾行していたであろう男たちをゆっくりと眺める。二人とも高校生のようだ。いつひが言えたことではないが、ちゃんと授業を受けろよ、と思う。視線を受け、たいそう居心地悪そうにしている二人に対して重光が口を開く。
「なんの御用?」
 男二人は視線を交わし合う。分かっていたことだが、二人がグルであることが証明された。武藤くんも大概『脳筋』と呼ばれる人種だとは思うけど、この人たちもそうなんだなあ、類は友を呼ぶってこういうことか、と心の中で呟いたいつひは体を戻す。
 と、そこでいつひは今まさに重光の背後を襲わんとしている第三の男の姿を目にした。
「あっ、危な——」
 反射的にいつひは声をあげた。しかしさすが百戦錬磨の重光というべきか。すでに気づいていたようで第三の男が拳を振りかぶった瞬間、一歩踏み出してからくるりと振り向いた。拳は呆気なく空振りする。その腕を取った重光は二人の元へ投げ飛ばした。投げ飛ばされた男は尻餅をつき、「しくじった」とばかりに仲間二人の顔を見上げる。
「イッヒー、弁当頼む」
「あ、うん」
 いつひに大事な弁当の入った袋を託した重光は三人を前に獰猛に笑った。
「残念だけど、今はそんなに遊んであげられねーよ」
 早く弁当を食べたいからだろうなぁ、と思う一方でこの三人にとっては重光に遊んでもらえなくてよかったんじゃないかな、といつひは先ほど散々に遊ばれた男子のことを思い出していた。
 狂気が滲むどころか溢れ出している重光を前に三人の男たちは居竦まるしかない。
「一番に殴られたい人挙手ー。決められんのやったらじゃんけんな」
 はいあと5秒で決めてー、とカウントダウンを始める。「ごー」狼狽える三人だったが、「よーん」慌てて声を上げたのは三人目の男だった。
「ま、待てって! 俺たちはっ、「さーん」に襲撃を頼まれたんだ!!」
「にー」
 慈悲はない。必死の言い訳も重光は首を小さく傾げるだけ。カウントダウンのスピードが緩むことはなく。
「いち」
 次に重光の口が開くその前に、情けない声をあげた男たちは揃って逃げ出した。それを見た重光は少々不満げに口をへの字にして「『鬼ごっこ』って言ってねーんだけど」と呟く。そう言いながらも鬼ごっこを始めようと走り出さんとする重光の制服の裾をいつひは掴んで止めた。すぐに重光の不機嫌な顔がいつひを見下ろしてくる。
「ムッとするのはボクのほうだよ! いつまで遊んでんの! ご飯食べるんじゃなかったの!」
 頰をぷくっと膨らませる。重光は「あー……」と気の抜けた声を出してから「食べる」と返した。
「でもあいつらが悪い」
「それはそうなんだけど、武藤くんも反省すべきところあるからね」
 いつひは弁当が入った袋を重光に渡す。弁当を食べるのにどれだけかかっているのだか。すぐに食べると思ったから温めてもらったっていうのにきっとすっかり冷めてしまっている。
「武藤くんってホント有名人だよね。さっきの人たち『襲撃を頼まれた』って言ってたよ」
「あー、なんか言ってたな。今頃依頼主に怒られてるな」
 気を取り直して石坂橋へ向かう二人。三分ほどで石坂橋に着いた。いつひは河川敷へ駆け下りる。なんとなく、坂があるから駆け下りたかった。そのあとを重光がゆっくりとした足取りで下りてくる。
 橋のほぼ真下に腰を下ろした重光は袋から弁当を取り出そうとし、その中に自分が頼んでいないフライドチキンが入っていることに気づいた。
「イッヒー、これ」
 隣にちょこんと座ったいつひにそれを渡す。いつひは「ありがと」とフライドチキンを受け取った。お金を渡して買ってきてもらっているので、しれっと奢らされた形だ。
「いただきます」
 重光は丁寧に手を合わせてから食べ始める。フライドチキンにかぶりついていたいつひは「人を殴ってるときとのギャップが激しいんだよなあ」と食べ方も丁寧な重光を眺める。食べることが好きな重光は食事という行為にこだわりを持っているのだ。ゆえに食事を邪魔されることを何よりも嫌う。
 がっついて食べているようにはとても見えないのだが、いつひがフライドチキンを食べてしまう間に重光もボリューム大の弁当を平らげてしまう寸前だった。相変わらず早食い競争に出られそうなスピード、といつひは包み紙をくしゃくしゃと丸めた。
「ねぇ、さっきの話に戻るんだけどさ」
「いつ?」
「『襲撃を頼まれた』、って言われたじゃん」
 いつひの言葉に重光は首を傾げた。そんなに拘るところか? と言いたそうな表情だ。
「なーんかちょっと引っかかっててさ……」
 うーん、と唸る。対照的に重光はほとんど興味がないようで「さっき街で殴った奴が連絡したんじゃねーの」と適当なことを言う。襲撃というからには重光に何かしらの恨みを持っている人間からなのだろうが、正直心当たりがありすぎて考えるのも煩い。マイペースに「ごちそうさま」と手を合わせて食事を完了させた。
 しばらく真面目な表情で考えていたいつひだったが、横で重光がぼけっとしている(おそらく夜ご飯のことを考えている)ので考えることがバカらしくなってやめた。
「もう。ボクは武藤くんのことを心配してるっていうのに」
「そーなの? でも俺は何が来ても殴るから大丈夫」
「……そうだね」
 重光の単純でいて自信に溢れた態度に呆れつつも安心する。恵まれた体格に、化け物じみた怪力と耐久力。それらを存分に活かした無茶苦茶な喧嘩っぷりを見続けているいつひは、重光なら大抵の相手は当然のように返り討ちにできるはずだということを思い出す。
「あ、でも武藤くん。最近、佐波沼ここら辺もホントに危ない事件起きてるからね。月の見えない夜は出歩いちゃダメだよ。おばけに食べられちゃうから」
「俺は何が来ても殴……」
「この筋肉アンポンタン!」
 先ほどの言葉を繰り返そうとした重光の腹部に思いっきりタックルを決める。非力ないつひがいくら全力で体当たりをぶちかまそうが重光には何のダメージにもならないが、ツッコミの意なのだと解釈した重光は繰り返していた言葉を途中で切った。
「真剣にガチで真面目に本当にヤバいんだから! ボク動画見たもん! 人がおばけに食べられちゃうところの!」
「どれ?」
「ボクはもう見たくないから武藤くん一人で見てね」
 顔をしかめながら自分のスマホを操作し動画共有サイトにアップロードされている例の動画を視聴できるようにしてから重光に渡す。いつひはすぐに耳を指で塞いだ。
 動画は大きな悲鳴から始まった。真っ暗な夜道。
 撮影者の声であろう「何? すごい悲鳴」「スクープ」という小声が聞こえ、画面は激しく揺れる。悲鳴の元へ向かっているようだ。次に画面が安定したときに見えたのは、暗闇から伸びる無数の触手に捕らわれ、宙吊りになっている人間の姿だった。上半身はすっかり触手に覆われてしまっていて、動かせる足を必死にばたつかせている様子がどうにも惨たらしい。触手の太さは一般的な成人男性の腕くらいの太さだが、それぞれ独立した動きが可能のようで一本一本の力も結構なもののようだ。画面の右側から伸びて来ていることくらいしかこの動画からは分からない。
 撮影者も呆然としてしまっているようで、なんの声も聞こえてこない。そのおかげでカメラは固定されているし、触手が人物を締め付けている音も聞こえてくるのでスクープ動画としては良質と言える。
 そう時間が経たないうちに、捕らわれている人物の動きが徐々に弱くなっていく。ついには動きを止め、ぶらりと力なく垂れ下がった。気を失っただけなのか、それとも事切れてしまったのか、重光には分からなかったし、動画もそこで撮影者が我に返り慌てて逃げ去ってしまった。触手に襲われた人物がどうなってしまったかも分からない。
「終わった?」
 いつひが耳を塞いだまま聞いてくる。重光は頷いていつひにスマホを返した。
「ホリの駅側の筋じゃねーの、ここ」
 『ホリ路』というのは佐波沼市のメインストリート『お堀ロード』の略称である。
「そう、動画のキャプションにもそう書いてて、コメント欄でいろんな質問にも答えてくれてるから投稿者=撮影者でいいと思うんだけど……」
 いつひは難しい顔をしてそこで一旦言葉を切った。
「今まで、来たコメントには半日以内に反応を返してたのに、一昨日からその反応が全くないんだよ。もしかしたら、この人もこの触手おばけに食べられちゃったんじゃないか、って」
「単に忙しいんじゃねーの」
「そうかもしれないけど、これ見てからじゃどうしても怖い方に考えちゃうよ」
「夜中ちゃんとトイレ行けてる?」
「そ、それは行ってるよお!」
 怖がっているいつひに重光は普段通りに話をする。絶対何も考えてないよなあ、と浅いため息をついたが、武藤くんらしくて安心する、とも思った。
「つーかさ、異能のせいだろ。こういうのって大概」
「んー、まあその線は動画にコメントしてた人たちも言ってたことなんだけど、でもこんな目立つ派手な異能なら犯人すぐに見つかってトーゼンだと思うんだよね……」
「ふーん」
「まあ、全然使わない武藤くんみたいな人なら別だけど」
 っていうか武藤くんの異能ってなんだっけ? と尋ねると重光は「内緒」とはぐらかす。いつも一緒に過ごしているいつひですら忘れてしまうのは、出会った頃に口頭で伝えられただけだからだ。実際に重光が異能を使っているところを見たことはない。
 佐波沼市に甚大な被害を与えた隕石だが、もう一つ非常に大きな影響も与えている。それが異能だ。星が降ってから数ヶ月経った頃。生活を再建していこう、と前を向き始めた佐波沼市民が騒めく出来事が各地で起こっていた。
『この子が時々、浮いてるんです……!』
『どうしてかたまにうちの娘、光ってて』
 子どもがおかしい、という相談が市や医療機関に寄せられるようになったのである。
 様子がおかしいのは5歳以下の小児。共通点は佐波沼市で隕石災害に罹災し、生き残ったこと。主訴は様々なものがあったが、全ての訴えは『常識では説明できない』という点に収束する。
 すぐさま調査チームが組まれ、佐波沼市隕石災害の罹災者への聞き取りが行われ、さらに隕石の成分分析等も同時に進められた。3年の追跡調査ののち、調査チームが出した結論は『既存科学では説明不可能な事象。隕石との因果関係も証明出来ず』という当事者たちにとっては正直肩透かしも甚だしい、というものであった。結局、3年の調査で明らかになったことは『隕石災害に罹災した当時5歳以下の小児に超常的な能力が携わっている割合は9割を超える』ということくらいで、その頃からその超常的な能力を持つ者は『星憑き』と称されることとなる。
「それにさー、今になって異能の使い方が分かってきたってやつも多いらしーよ。修輔さんが言ってた」
「確かに小さい頃じゃ使いこなせないだろうねえ。あー、ボクも格好いい異能欲しかったなあ。ええとほら、例えばパイロキネシス発火人間とか」
「イッヒーがそんなんになったら俺、夏は近づかねーから。あ、でもいまは欲しい」
 そう言いながら重光は煙草の先をいつひに近づける。いつひは眉を寄せた。
「もー、未成年がいきがるなって言ってんのに。ボク煙草嫌いだし、まだ燃えないし」
「『まだ』ってことは燃える予定があるのか」
「うるさい!」
 驚いた、とばかりに目を丸くする重光を一喝し、いつひは立ち上がった。揚げ足を取られて相当ご立腹だ。
「やっぱ武藤くんムカつく! 触手おばけにちょうどいい具合に嬲られちゃえばいいんだよ!」
「俺にそんな趣味はない。どっちかっていうと俺が嬲る」
「変態じゃん!」
 ご立腹モードに入ったいつひはちょっと面倒臭い。何を言っても返ってくるのは罵倒だ。とは言ってもさすがに付き合いが長いだけある。慣れっこの重光は「そーか、変態か」と適当に流していた。それからライターを取り出し先ほどの煙草に火をつける。
「っだから! ボクの前で煙草吸うなって!」
 ついに地団駄を踏み始めてしまう。いつひの怒りにも火をつけてしまったようだ、と思うと全然面白くもないことなのに笑えてきた。それはますますいつひを煽ることになるわけで。
「あーっ、もういいもん! ボク6限だけ出てくるから武藤くんは河川敷でゆっくりしててください! 間違って川に落ちると尚良し!」
 時刻は13時42分。今から学校へ戻れば6限の開始時刻に間に合うか間に合わないか微妙なところ。いつひはプンッと鼻を鳴らして大股でその場を去って行ってしまう。残された重光はふと下げた視線の先にいつひの食べたフライドチキンの包装紙が転がっていることに気づいた。
 ため息交じりに重光は独り言つ。
「いつも言ってんだろーが。ゴミはゴミ箱に入れろって」

 |||

 13年前の8月11日。佐波沼市には数日前から彗星が空に居座っていた。
 快晴。うだるような暑さの午後に響く、空気を切り裂く音。空を見上げた市民は、今まで見たことがないくらい明るく光る物体を目撃した。そして、人々はそのあまりの眩さに瞼を閉じてしまった。中には、もう二度とその瞼が開くことがない人もいたし、そうなってしまった友人を見ることしかできない人もいた。目を閉じてたまるものか、と必死な人もいた。
 隕石が落ちた日のこと。居座っていた彗星はいつの間にかいなくなっていた。

 〈佐波沼市を中心とする特定激甚隕石災害〉
 [13年前] 8月11日 午後1時49分発生
 被災範囲:佐波沼市全域、城歩町南部、根子町・多久郡の一部
 死者:2万105人 行方不明者:1539人 負傷者:9万1972人 倒壊家屋:11万棟超

 補記:████の影響とされる超常現象の実態を鑑み、佐波沼市及び周辺自治体を████特区指定し、国家██部監督下とする。