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「これ以上我慢していると、本当に折れてしまうぞ」
 脂汗を滲ませる重光に光汰が告げる。しかし、重光は余裕ぶるように口の端を吊り上げると「おー。生徒会長様が傷害事件かよ」と煽る始末。光汰は僅かに困ったように眉を下げた。瞬間、重光は光汰の背中に噛み付く。短い悲鳴とともに光汰の拘束が一瞬緩む。その隙をついて抜け出した重光は光汰の背中を蹴り飛ばし、光汰の身を案じて立ち上がろうとしていた湊叶をひょいと担ぐと光汰に投げつけた。勿論光汰は湊叶にダメージがないように受け止めようとする。その動きは重光にとって絶好のチャンスとなる。
 強く床を踏み込んだ重光は跳躍する。瞠目した光汰を満足気に見下ろしてから、重光はバランスが整う前の二人の上に着地した。飛び蹴りでもなんでも無い、位置エネルギー半身分増しの踏み潰しだ。発想が怪獣のそれである。二人分のうめき声が聞こえるかと思ったが、踏み潰される直前で光汰は上側に身体を捩じ込み、その上四つん這いになることで湊叶と床の間に空間を作り出していた。結果、重光が踏み潰せたのは光汰だけであった。
 大きな舌打ちをした重光は「てめーと組体操したいわけじゃねーっての」と光汰の頭を踏みつけるように蹴る。特に反応がないので何度も蹴りつける。そのうちに湊叶が光汰の下から這い出でようとするのを、光汰は「今出てはだめだ、狙われてしまう」と小声で制した。
「そんな」
 湊叶から泣きそうな声が漏れる。惨めだ。
「大丈夫。無視していれば武藤はすぐに飽きるから──」
「何話してんだよ」
 光汰の背中にしゃがみこんだ重光が光汰の横顔を覗き込む。光汰は固く口を閉じた。
「おい、生徒会長さん、一般生徒の話聞けよ」
「……武藤がこの狼藉を止めてくれるなら、思う存分話を聞こう」
「今聞けよー」
 話が通じない。そもそも話をしようとしていない相手だ。腹を括った光汰は重光を見据えた。入学式の日に大暴れした重光を止めたときのように、能力を使うのも已むを得ないか。能力を使うと過剰なくらいに打ち据えてしまうため最後の手段だったのだが、重光と話をするには今はまだ、まずは彼の言語暴力を使って会話という手順を踏まねばならないようだ。
「は?」
 光汰が重光を圧倒するため能力を使役しようとした、ちょうどそのときの出来事だった。重光の身体中に蔦が巻き付いていた。それも茨だ。幼い頃に見たアニメでこんなシーンがあったかな、などと光汰が思っているうちに茨に巻き付かれた重光は、教室の外へ一気に引きずり出される。唖然とした顔のまま、しかし光汰は重光を追いかけた。
 光汰が廊下に出たと同時、ぱりん、と窓の割れる音。見ればちょうど重光が茨によって窓から中庭に放り出されているところだった。重光自身も何が起こったか理解できていないのだろう。上半身を起き上がらせた体勢のまま目を瞬かせている。昼寝から叩き起こされたねこみたいだ、と光汰が思ったのも一瞬、重光の表情が羅刹が如くそれに変わる。
「お前か」
 窓越し、廊下に先程の茨の使役者と見える人物を見つけたのだ。冗談じゃなく殺されてしまう、と光汰はその人物の元へと走る。
「阪くん!?」
 ところがもう一つの人影が光汰の反対側から現れるのを確認するや否や、重光はあっさりと引き下がった。立ち上らせていた怒気はどこへやら、しかし若干不機嫌な様子で小さく舌を打つと「イッヒー、何でいんの」といつもの相方に尋ねる。
「ちょっと阪くんとはなししてるって言ったよ!?」
 確かにその通りだったので重光は押し黙った。非常に不服そうではある。
 肩をすくめたいつひは一転崇仁の様子を伺う。衆人環視の中、隠していた能力を披露してしまったのだ。動揺しているだろう、と思いきや本人は意外にも清々しい顔をしていた。
(やっぱり、真っ直ぐなひとだなあ)
 いつひは改めてそう思う。覚悟の上で、光汰を助けるために能力を使った彼に悔いなどあろうはずもないのだ。
 それから視線をずらして重光の方を見やれば、飽きたのか一人でどこかに行こうとしている。こちらもまあ、ある意味真っ直ぐな人間だ。

 ◆◆

 星憑きは怪我の治りが一般人よりも早い。とは言え、流石に骨折は一朝一夕で治るものではない。ゆえに湊叶は一週間ほどギプス+松葉杖という装備を強いられることになった。
「号外号外〜!」
 不機嫌な顔をした湊叶の前を大声で喧伝しながら横断したのは新聞部だ。刷りたての校内新聞をばらまいている。生徒会メンバーの前でよくこんな所業が出来るな、と呆れながらちょうど目の前にひらひらと降ってきた新聞を手に取る。
【我が校柔道部きってのルーキー、レギュレーション違反で県大会出場権抹消!】
 その上、ちっとも愉快ではない話題。もともと刻まれていた湊叶の眉間の皺が更に深くなった。
「おいこら、新聞部」
「ぎゃっ、生徒会さん! すいません今すぐ片付けますんで廃部だけはどうかご勘弁を〜!」
 後ろ暗い気持ちはあったのだろう。声をかけただけで新聞部は周りに撒き散らした新聞を高速で回収すると、赤べこよろしく何度も頭を下げて脱兎のごとく逃げ去っていった。
「……はあ」
 ため息を吐いた湊叶は持っていた新聞を折ってポケットにねじ込んだ。

 新聞を見た光汰はやり切れなさそうな表情で肩を落とした。
 多種多様な能力を持つ星憑きは部活動等の公式試合の出場を原則禁じられている。特に空手など相手と直接相対するような種目は以ての他だ。記録会は許可されることが多いが、勿論参考記録扱いである。
「隠していたことは悪いが、なんだかなあ」
「俺はこの記事の書き方が気に食わねっす」
 つーか元々うちの校内新聞、スポーツ新聞みたいであんまり好きじゃないっす、と湊叶は鼻白んだ顔をした。苦笑いで応えた光汰は「噂話というのは、皆の心をくすぐるからなあ。いや、俺もエイトマコンビニで冷やしおでんが出るかもしれないという噂をキャッチした日には心が浮ついたものだった」としみじみと語り始める。
「それに、阪なら大丈夫だと思う。吹っ切れた顔をしていたし、能力が覚醒してしまったことを隠して大会に出るほうが、彼にとってストレスだったろう」
 午前中のうちに崇仁と会って話をしてきた光汰が迷い無く言う。確かに崇仁の周囲からの評判を聞いていても、光汰の言う通りに思えた。湊叶個人的にはたいへん好感の持てる性格でもある。
「阪の幼馴染でしたっけ、様子がおかしいって会長に相談してきたの。その様子がおかしい理由も能力の覚醒絡みだったんすね」
「ああ、そのようだ。賀川も異様な雰囲気の阪を見かけて心配していたよ」苦手とする人物が思わぬところで話題に登場し、湊叶は僅かに顔をしかめた。「しかし、能力が突然開花するなんてこともあるんだなあ」
「……今まで星憑きだって気付いてなかったとか」
「ありそうだな。賀川も自分は能力を持っていないと言っているが、その例かもしれないな」
 冗談のつもりなのだろうが、湊叶にはとても笑えなかった。《《あれ》》が更に能力まで持つとなれば、面倒臭さは今の二乗では済まないだろう。
「賀川は武藤を持ってるじゃないっすか」
 呆れた顔で皮肉を言う湊叶。光汰はすかさず「武藤をモノみたいに言うもんじゃないぞ」と注意するのだった。

 ◆◆

「新聞部のあんなしょうもない記事、気にしちゃだめだよ!」
「記事は全然気にしてないけど、部のみんなをがっかりさせてしまったのはちょっとつらいな」
「ぼくはちっともがっかりしてない!」
 放課後、駅に向かう龍業高校の生徒がふたり。阪崇仁とその幼馴染上春だ。胸の前で構えた拳をぐっと強く握りしめながら熱弁を振るう上春と、照れくさそうに笑う崇仁。ふたりとも今日の部活は休んでいる。
「がっかりしてない、って言い切るのもなんか違うな……?」
 上春がはたと気付いたように神妙な顔で呟く。崇仁はとなりで小さく笑った。部活中の凛々しい姿とはまるで別人のようだ。上春も能力なしの判定を受けているから、夏の大会の代表は彼にほぼ決定だろう。上春になら安心して託せる。
「ぼく、崇仁が星憑きだったことなんか全然知らなくて」
「本当につい最近能力が使えるようになって、自分でも混乱してたから言い出しにくくて」
 言いにくそうに崇仁がこぼす。
「……まあ、今日はさ! ぱーっと気晴らしにさ、カラオケでオールしよ!」
 崇仁の気分を盛り上げるためだろう、些か無理にテンションを上げたようにも見える上春は勢いよく崇仁と肩を組む。
「オールは青少年保護条例的な何かで捕まるだろ」
「真面目か〜!」
 けらけらと楽しそうに上春は笑う。つられて頬を緩ませた崇仁だったが、不意に訪れた生臭い空気に気付き、立ち止まる。突然歩みを止め、周囲を警戒し始めた崇仁を、上春は怪訝そうな顔で覗き込む。
「どうした──」
 上春の言葉に疑問符がつく前に、崇仁の姿は駅前雑居ビルの間に吸い込まれていった。辛うじて上春の目が捉えられたのは、薄い紫色をしたゼリーのような物質に崇仁が頭を掴まれ、建物同士の隙間に連れ込まれる瞬間だった。ほんの少しの間、呆然と立ち尽くしてしまった上春は慌てて幅五十センチメートルもあろうかという隙間に身を捩って入り込んだ。雨樋やエアコンの室外機・配管などが詰まっていて人が移動するには難しかない、と言うのにすでに崇仁の姿は見当たらない。
 焦り、周囲を見渡す。いない。もしかして、と真上に視線を遣る。先ほど見た、あの薄紫色のゼリーがちょうど這うようにビルの屋上へ登りきったところだった。

 ゼリーのような、いや、ゼリーよりも粘度が高く触れられた感じがベタベタしていたから、これはスライムだ。頭を包み込まれるようにスライム状の『手指』で掴まれた崇仁がまず思ったことである。うまく鼻と口を避けて掴んでいるのが手慣れている感じでますます厭な感じだった。
「おい! お前、一体何だっ、まさか上春のことを──」
 やや前方を駆ける少年に怒鳴る。スライムは半透明で視界は存外明瞭だ。白い髪にビビッドピンクのメッシュ。崇仁を掴んでいる腕は肩からスライム化しているが、それ以外の部分はいたって普通の人間そのものだ。ただ華奢な体躯からは想像できないくらい走りは速く安定しているし、崇仁を運んでこの走りなのだから並の筋力、運動能力ではない。建物と建物の間も難なく跳んで渡っていくのは最早人外の域にも思えた。
 この異常さ、自分の異能が発現してしまったきっかけの襲撃が頭を過る。徒手空拳で敵わぬ相手に襲われ、倒れた上春を護りたいと渇望した直後、植物を具現化し操作する能力に目覚めてしまったのだ。襲撃者は追い払えたものの崇仁は星憑きになってしまった。あの襲撃者の目的は不明だ。もしかしたら再び上春の元に舞い戻ってきたのかもしれない。
「うるさいヨ〜!」
 えい、と軽い掛け声がして、崇仁の口はあっさりと塞がれる。喋っている途中だったのでスライムが少し口の中に入ってしまい、非常に気持ちが悪い。おえ、と嘔気えづく。
 声を上げたことを反抗と捉えたのか、今まで宙空に浮かせて運ばれていた足先を時折地面に擦られるようになった。
 痛みに耐えること十分くらいだろうか。駅前から離れ、湖の方へと向かっている。この辺りは一般人はまず立ち寄らない区域だ。隕石災害からの復興が未だ遂げられず、今にも崩れそうな廃墟が立ち並んでいる。その廃墟群の屋根の上でようやく足を止めた少年は、最早意識が混濁しかかっている崇仁をスライムの拘束から解放した。
「ええと、今日は──」
「おれだよ」
 少年の背後から人影。穏やかな口調の彼はゆったりとした足取りで地に伏している崇仁の前に近づいた。体格はふつう、身長は少年よりも頭一つ分くらい大きい、髪型は短髪──。風前の灯火のような意識では彼の詳細を捉えることはほとんど出来なかったが、崇仁を見下ろす目は嬉々と輝いていることだけは分かった。
 重光のような嗜虐的なそれではなく、大きな好奇心のような。
 しかしそれに抗うだけの体力は最早尽きてしまった。口元に悔恨を滲ませた崇仁は意識を手放した。

「今回は丁寧に運んできたね、慎吾」
 慎吾と呼びかけられたスライム少年はぱっと顔を上げる。ふたりから少し離れ、うつむきがちな控えめな態度で待っていたのだ。短髪の少年は一度も振り返らずに続ける。
「慎吾にしては、だけど。まあ気になっていたのは彼の能力だから能力さえ無事なら生存可能なレベルの損傷は些末なこととは言える」
 その後もぶつぶつ続ける少年。この口調は、おそらく褒められてはいない。慎吾は再び視線を足下に戻した。あんまり関わることがない彼だが、誰よりも怖いことは分かっている。
「やっぱりとおるくんがよかったんだけどなあ」
 ぼそ、と慎吾がぼやき終えた瞬間、彼の胴体は上下でぱっくりと分かれていた。瞬きの間に彼を輪切りにしたのは、少年の背から伸びている黒い触手状の物質だった。
「わ、あ」
 とはいえ、慎吾の能力は全身のスライム化。湿っぽい音で分かれた身体はごく当たり前に元に戻る。ただし、内部器官のスライム化は体力を大変消耗する。ほとんど自動で機能する能力のため、能力の強度を調節することも不可能だ。調節したところで内部器官に甚大な損傷を受けて再起不能だっただろうが。凶悪なことにあの触手は輪切りにするだけでは飽きたらず、あの一瞬で内部なかをスクリューのようにかき回していったのだ。ただでさえ人ひとりを運び疲労が溜まっている慎吾にはなかなか堪えるものだった。
「ひ、ひどいよ」
 極度の疲労に襲われた慎吾はくずおれ、這いつくばりながら少年に訴える。やはり一顧だにしない少年は触手で崇仁を持ち上げ、建物内へと向かった。残された慎吾はすすり泣きながら、しかし緊張の糸が解けたのか、しばらくすると寝息を立てて眠ってしまった。