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「なあ、トト。倉庫に置いてたアレ・・、何?」
 突然、トトの背後に現れた少年は青い顔でそう尋ねた。体を包むビーズクッションに寝そべる(ほとんど埋まっていた)トトは煩そうに振り向くと「仲良し」とだけ答えた。数刻前に世界で一番憎らしい奴と出会っていたので機嫌は良くない。もちろん、少年がそんな事情を知る由もないが。
「答えになってねーよぉ……。なんで二人分の、その、死体を、ぐちゃぐちゃにして混ぜ……」
 言葉のかわりに少年の口から溢れた吐瀉物が床に撒き散らされる音がする。トトは眉を寄せると「掃除しとけよ」と言い捨て、十畳程度の部屋を出る。吐いてから尋ねに来ればいいものを。傍迷惑な。
 阪も上春に並々ならぬ感情を抱いていたようだし、その逆も然りだった。だから余すことなく利用してから、一緒にしてやった。死人の意思があったならば、自身らの躯を目の当たりにしてどちらも怨嗟に嘆いているだろうけど。阪は上春を守りきれなかったことに、上春は本心では蛇蝎の如く嫌っていた存在と一緒に置かれていることに対して、だ。
 倉庫に置きっぱなしにしていたのは、単なる少年への嫌がらせである。片付けも頼んでおこう、とスマホから匿名メッセージアプリで連絡しておく。たまにこうして刺激を与えておかないと、彼はすぐにたるんでしまう。
 さて、阪から取れたデータで髭右近の能力強化を狙うとするか、とトトは病室へと向かった。アジトとして使っているのは廃病院。僅かながら入院設備も整っていたので、宿直室を個人的な部屋として使用している。実験の待機時間を潰すのにも使えるし、存外居心地がいいため、すっかり入り浸ることが多くなった。生家に帰らなくなって久しい。
「どーもー。調子はどう?」
 ひらひらと手を上げ、軽い調子で声をかけるトトの視線の先には変わり果てた髭右近の姿があった。ベッド柵にもたれかかるようにしてベッドの上で三角座りをしているが、目にはアイマスクを当てられ、口元は力なく半開きになっている。アイマスクで隠れてはいるものの、きっと虚ろな目をしていると容易に予想できた。トトの声を聞いても微塵も反応しない。
「よしよし」
 適当に頷いたトトはベッド脇に置いていた脳波測定機器の付いたヘッドギアを髭右近に被せ、同じくベッド脇のノートパソコンを立ち上げた。しばらくして髭右近の脳波計測グラフが画面に表示される。十ほどの項目はいずれも穏やかな波を描いている。平常時の脳波だと確認したトトは次にスマホを手に取ると、自作のアプリで髭右近に指示を出す電気信号を送った。傍目には変化はないが、脳波を計測しているグラフが一度大きく振れた。髭右近が能力を使用した証左である。再び頷いたトトは「あとは実際に誰かに使ってみよっか」と髭右近に話しかけた。無論答えが返ってくることはない。トトは機器を手早く片付けると「それじゃ」と髭右近に手を振り部屋を後にした。
 誰か、とは言ったがターゲットははじめから決めている。
 髭右近の能力を試させたときに、こっそり逃げた人間。賀川いつひだ。
 
 きちんと掃除しているかな、と倉庫の様子を見に行ってみるとそこには不満そうな顔で鉈を振るっている慎吾の姿があった。大方押し付けられたのだろう。鼻白んだトトはぼそりと「きつく叱っとかないとな」と呟いた。
 
 ◆◆
 
 佐波沼市中央町には昔ながらの商店街、菖蒲通りがある。駅前の大きなショッピングモールに地位を脅かされながら、隕石災害による被害も乗り越え、商店同士が支え合いながら続いている。
 華日が恩人の少女を誘った桜庭洋菓子店も通りに連なる商店の一つだ。
 石畳の道を華日は駆ける。時折、道の凸凹に足を取られながら必死に走った。
 時刻は十六時。自分で誘っておきながら、龍業高校よりも葛羅坂女子学園のほうが桜庭洋菓子店に近いことをすっかり忘れていたのだ。もしかしたら先に到着してしまっているかも──。
 息せき切らして洋菓子店の扉を開く。りんごん、とドアベルが響いてショーケースの向こうの店主が驚いた顔で華日を見た。
「どうしたの、華日ちゃん。そんなに慌てて。うちの馬鹿が死にそう?」
「ちっ、がいま、す」
 からからと笑った女性店主に首を横に振り、膝に手をついて華日は息を整える。それから、店主以外の視線を感じて顔を上げた。イートインコーナーから恩人の少女が僅かに当惑気味にこちらを見ている。
「あっ、来てくださったんですね! すいません、お待たせして……!」
「ほんの少し前に来たところなので大丈夫です。それに、店主の方が事情を知っておられたようですので」
 店主はお茶目にウィンクを寄越した。安堵するとともに華日はもう一度頭を下げる。
「いやっ、ほんとごめんなさい……! 何、食べます? 二個でも三個でも、お土産もどうぞ!」
「大したことをしていないのに、そんなに受け取れません。……すっぽかしたらずっと待ちぼうけていそうなので、帰りに寄っただけですし、奢っていただかなくても」
 率直な言葉をぶつけられ、華日はただただ小さくなるばかり。それを不憫に思ったのか、「どうしても気になるようでしたら、一つだけご馳走になります。その、『春のわすれもの』。とても可愛らしいです」とすみれの砂糖漬けが載せられたムースケーキを指さした。
「お目が高いね〜! この時期にしか作らないんだ」
 人懐っこい笑顔を浮かべた店主はいそいそとショーケースから『春のわすれもの』を取り出す。「華日ちゃんは?」と尋ねられた華日は「わたしは、『レモンとマスカルポーネ』を」と黄色のレモンクリームが鮮やかなケーキを注文した。
「えへへ、やっぱり鮮やかな色のケーキは目に映えて頼みたくなっちゃいますね!」
 イートインスペースで二人はケーキに舌鼓を打つ。いつひといるときのように早口感想が出てしまいそうになったのをぐっと堪え、無難なコメントに留める。TPOは大事だ。
「はい。見た目も綺麗ですし、とても美味しいです」
「……あの、その、御礼のはずが、無理やり付き合わせたみたいになってしまって、ごめんなさい」
「いえ。美味しいケーキもご馳走になっていますし、貴女はとても好い人ですし、悪い気はしません。──三笠さんは、ここのお店には随分と通っているのですか?」
 華日を気遣ったのか、幾分柔らかい口調で少女は尋ねる。
「はい。幼馴染の男の子のおうちなんです」
「なるほど」
 答えてから、頬が赤くなっていなかったか華日はこっそり心配になった。
 ケーキを食べ終えた少女が「ご馳走様でした」と手を合わせる。食べ始めから今までの美しく丁寧な所作は、人形のような見目と合わさると見惚れてしまうくらいだった。
「あの、もし、よかったら、名前を伺っても……」
 華日がおずおずと切り出したとき、俄かに往来が騒がしくなった。怒号らしき声や、何かが壊れたような音が聞こえる。
安土あづちです。今日はご馳走様でした」
「……あ、こちらの方こそ、」
 安土と名乗った少女はそそくさと身支度をして、足早に店を出て行く。一方の華日も微妙な表情でその背中を目で追うのみ。急によそよそしくなった二人を遠目に見ていた店主は心配そうに眉を曇らせた。
(一瞬見えた、あれは)
 ドアベルの音が消えてから、華日は意を決したように立ち上がった。安土を追いかける。通りの騒ぎを聞いた途端、彼女から『赤い椿』のイメージを受け取ってしまったのだ。それは阪と上春の二人から受け取ったことのあるイメージだった。
 彼女が危険なことに巻き込まれるかもしれない。そう思った華日は怖気づいてしまい動きが遅れた自分を情けなく思った。
「安土さんっ!」
 出入り口を開け放ち、通りに向けて叫ぶ。しかし、遅かった。安土は騒ぎの中心と見られる少年グループの前に立っていた。少年たちの足元にはスーツ姿の男性が転がされている。酷く痛めつけられたようで、怯えたように体を丸めていた。
「星憑き様に逆らうからこんな目に遭うんだよォ〜?」
 ふざけた調子でリーダー格らしい、紫に赤のメッシュを入れた少年が笑う。釣られるように仲間たちも下品な笑い声を響かせた。
「やめなさい。見苦しい」
 少年たちの行いをばっさりと切り捨てるような凛とした安土の声。少年たちは「は?」と短く恫喝した。
「なんだお前──」
 少年らの一人が肩をいからせ、頭を揺らしながら安土に近づく。視界を遮りそうな大きさのポンパドールもゆらゆらと揺れる。毎日のセットが大変そうだ。身長的には見上げているも、完全に見下した目つきの安土は小さなため息を吐く。こちらを下に見た態度に腹を立てたポンパドールは安土の肩を強く押した。後ろに数歩よろめいた安土はぼそりと呟く。
「救えない人たちですね」
 瞬間、ポンパドールのアイデンティティが消失した。一瞬の出来事過ぎて、本人も周囲も理解が追いついていなかったが、遠巻きに見守っていた華日には見えた。上から切り落とされていた。不可視かつ肝が冷えるくらいの切れ味の『何か』によって。
 もし少しでもズレていたら、どうなっていたのだろうか。
 そんな想像をしたのは華日だけではない。実際にその危機の中にある少年たちも同様だった。ポンパドールが地面に落ちて暫しのち、元ポンパドールの顔色が急激に青ざめる。とんでもない奴に喧嘩を売ってしまったかもしれない、と。
 少年たちが怖気づいたことに安土も勘づいたようで、ほんの僅かに表情を緩める。
「反省して、二度と弱者を襲うような真似をしないと誓うのなら──」
 その頭上に影。赤メッシュの少年が超人的な脚力で持って、跳躍していた。安土はやれやれとばかりに肩をすくめる。
「──そのつもりはないようですので、徹底的にさせてもらいましょう」
 
 決着はすぐに付いた。それこそ、華日が湊叶に連絡を取ろうとしている間に。
 安土は圧倒的な力を持っていた。まずは赤メッシュの少年を掌底一発で吹き飛ばし、次にいきり立って襲いかかったその仲間たちに一撃ずつ食らわせ追い込むことで少年グループの戦意を完全に喪失させたのだ。這々の体で逃げ出す少年たちに冷ややかな視線を送る安土はどこか少し残念そうにも見える。
二色持ち・・・・は特別だと思ったのですが、擬物まがいものだったようですね」
 小さく呟いている安土に安堵しきった表情の華日が駆け寄る。はじめに襲われていた男性は騒ぎの隙に自力で逃げ出したようで、姿が見えなかった。
「はあ、良かったです……。幼馴染を呼ぼうと思ったんですけど、呼ぶより先に退散させちゃうなんて、やっぱり安土さんはすごいですね」
「……そんなことは」
「それで、あの。実は、わたしも少しだけ能力を持っているんですけど」
「はい」
 急な話に安土は僅かに眉をひそめた。
「それは、その人にとって印象深いもののイメージを、勝手に受け取るっていうだけの、しかも本当に勝手になので、読み取ろうとしても全然出来ないんですよ。そういう、能力なんです」
「はあ」
 心ここにあらずといった調子で、ちっとも要領を得ない華日の説明に安土の眉がますます曇る。ここから本題なのか、華日は息を吸ってから話し始めた。
「……さっき、安土さんから『赤い椿』のイメージを受け取ったんですけど、そのイメージは、最近、うちの高校で失踪者が複数人出てるんですけど、その人たちから失踪する前に受け取ったイメージなんです。何か、もしかしたら、危険なことに巻き込まれてしまうかも、と思って。怖がらせてしまうかも、と思ったんですけど、すいません」
「なるほど」安土は一度頷いてから続けた。「でも、大丈夫です。わたしは強いので」
 そう自信を持って言い切られてしまうとこれ以上華日に言えることはなかった。失踪した阪は武道を極めた上に異能も持っていたことを伝えても、しつこく思われるだけだろう。
「気をつけてくださいね」
「はい」
 安土は相好を崩して応えた。その安土の背後に、華日の見知った顔が現れる。華日の表情が不意に明るくなったのを不思議に思った安土は、華日の視線を追いかけるように振り向く。仏頂面の少年がこちらを窺っていた。目つきの悪い彼と目が合う。
「なんだ、もう終わったのか」
 安土から目を逸らし、ぶっきらぼうに言うのは華日に呼ばれて駆けつけた湊叶だった。
「はい。あんなに慌てて連絡したのにごめんなさい」
 ぺこりと頭を下げてから、華日はことのあらましを湊叶に話す。大方理解した湊叶は安土にちらりと見定めるような視線を送った。
「あ、湊叶くん、その目よくないですよ! 湊叶くんの悪い癖です」
「……悪かった」
 すぐに華日から指摘される。素直に謝った湊叶に安土は「いえ」とかぶりを振った。素直に謝罪が出来る人には好感が持てます、と言いかけて、安土はその言葉を引っ込めた。さすがに軽率が過ぎるだろう。華日は言葉を飲み込んだ安土が気にかかるようだったが、湊叶に「三笠、さっきの奴らの特徴教えてくれ。弱い者虐めする馬鹿は気に入らねえから、見かけたらぶん殴る」と話しかけられたため、その話を始めた。
「では、わたしはこれで。今日はご馳走様でした」
 深めの会釈をして、安土は場を後にした。