2-3

 集めた捜査資料を詰めたダンボールが外部の人間によって持ち出されていく。なんとまあ、情けない光景か。
 佐波沼警察署の刑事、鵜原誠也うはらまさやは腕組みをして目の前を通る、スーツ姿の男女を睨んでいた。鵜原のデスクに男の手がかかったとき、思わず体が動いてしまい、上司に制されてしまう始末。鵜原の壮絶な視線を受けてなお、総能研からやってきた職員たちは粛々と作業を完了させていく。
 ものの半時間もかからぬうちに綺麗さっぱり資料を持っていかれた「佐波沼工業高校生殺害事件捜査本部」は今限りで解散となった。事件の概要はこうだ。佐波沼工業の男子高校生が路上で無惨な遺体となって発見された。被害者の素行は良いとは言えず、遺体発見前日もトラブルを起こしていたことから、怨恨の線が疑われたが、遺体の損傷があまりにも酷いことから快楽殺人の可能性もあるのでは、という声も上がっていた。
「星憑きが絡むとこうだからなあ。やる気が起こらん」
 会議室前に立てた旗を巻き取りながら、同僚がぼやく。鵜原も概ね同意だ。事件を引き取った総能研がぐうの音も出ないほど華麗に解決してくれるならいざ知らず(たとえそうだったとしても腹は立つが)、ほとんどが続報なし、有耶無耶にされているのだから尚更である。
「そういや龍行の話、聞いてる?」
「んあ? ああ。そこの生徒さんが相次いで失踪したっていう? 噂には」
「それの二人目。あれ絶対事件性あるんだよ」
 そういうと同僚は周囲を気にする素振りを見せてから、スマホをこっそりと鵜原に渡した。動画だ。一般病室の監視カメラだろうか。個室のようだが、元々の画質が良くないことに加えて深夜のため暗く、人相はほとんど見えない。特に変わった様子はないように思えた、次の瞬間、ベッド脇に忽然と人影が現れた。現れた人影はきょろきょろと辺りを見渡してから、ベッドに寝ている患者に触れ、そして患者もろとも姿を消した。
「……おい、これ」
 震える声で同僚に聞けば、彼は頷いた。「星憑きに攫われてるようにしか見えねぇんだよな」
「総能研なら、すぐに個人を特定くらい出来るだろ。こんな……恐ろしい能力」
「もちろん言ったぜ。けど、星憑きの個人情報だから、とかなんとか言って全然動きやしねえ。そのうちにこの動画も消されちまうと思って、必死ンなってデータを取り出してきたってわけ」
 けけけ、と同僚は笑う。鵜原もつられて笑ってしまった。ここまで明確な証拠があって尚、総能研が動かないというのなら。鵜原は拳を握りしめた。
「帳場も畳まれちまったし、このガキに話聞きに行ってもいいかもな。──子どもが子どもを殺してるかもしれんのに、大人が黙っていられっかよ」
 
 ◆◆
 
 うんざりする。
 耳障りな悲鳴を上げ続ける元人間を眺めながら、雨合羽を羽織った青年──トトはため息を吐いた。うるさいからではない。あまりにも醜悪だからだ。筋肉の鎧を身に纏った、いかにもバトル漫画の悪役にいそうな身体を造り出した存在が。はっきり言わせてもらえば、センスのかけらもない。
 トトの背中から伸ばされた黒い触手に腹部を貫かれて尚、筋肉鎧は動きを止めない。両手で腹部を穿つその触手を掴み、引き千切ろうともがいている。「いやあ、君では全力でやっても傷すら付かないよ」。トトはせせら笑う。必死な姿が可哀想になってきたので、肩を虫ピンで押さえるかの如く壁に触手で突き刺して固定する。出血の量もそろそろ意識障害を起こすレベルに達しそうである。実際、悲鳴も抵抗して暴れる動きも弱くなってきていた。大きな動作は多量の血液を失うことになることくらいすぐに理解できそうなものだが、その程度の知能も残っていないと見える。これはまさに『脳筋』だな、と頭に浮かんだのを流石につまらないことを考えてしまった、とトトはこっそり落ち込む。肩に突き刺した触手を体内にも伸ばし、咽喉と鼻腔の間にある星状腺の有無を確認する。ほとんどない。トトは残念そうに短く息を吐いた。
 トトは基本的に人を見下すことはないと自負しているが、この施設の研究員に限っては別である。『ごっこ』でも研究員を名乗るなら、もう少しまともな成果を出して欲しいものだ。贅沢にも、素材は豊富にあるというのに。まあ、こちらにも最近良いサンプルが手に入ったけれど。なんて、張り合ってしまう。
 こんなことならイチカにおつかいを頼めばよかったなあ。背中から無数の黒い触手を伸ばし、トトは観察の済んだ筋肉鎧を反対側の壁に叩きつけて黙らせた。これで何体目だろうか。トトにとっては虫を払うのと大して変わらない動作のため、一体や二体ではなかったはずだ、くらいの認識である。どうせなら星状腺が発達した個体を配置してほしい、とトトは口の中でぼやいた。
「騒がしいと思ったら、お前か!」
 筋肉鎧を叩きつけた壁側にあった金属製の扉を開けて、男性研究員が姿を見せた。口角泡を飛ばしながらわあわあと罵詈雑言を喚き散らしている。
「僕が造った次世代星憑きになんてことをしてくれるんだ!」
「いやあ、酷い出来だなあと思って」
 肩を竦めたトトは呆れた声を返す。「無駄に使うなら分けてくれません? 素材。個人で集めるにはいささか骨が折れるんで」
 顔を真赤にした研究員は怒りに震える声で「言わせておけば……!」と唸るや否や、扉の向こうに引っ込んだ。トトの表情がほころぶ。次世代星憑きとやらの真髄を見せてくれるのだろうか。トトの興奮に呼応するように、背中から生えている触手も怪しげに蠢いた。
 次世代星憑の登場を心待ちにしているトトの耳朶を次に叩いたのはくぐもったような水音だった。つづいて、そこそこ大きな質量を持った水っぽい物体がゆっくりと叩きつられた壁から落ちていく音。それからややあって扉から姿を覗かせたのは、背格好が中学生くらいの少年だった。病的に青白い肌を返り血と思われる赤で半身を彩った彼は、ぎょろりと動かした異形の眼でトトの姿を捉えるとかき消えるように姿をくらませた。
 瞬間移動か、運動能力強化か、はたまた、幻覚作用か。
 トトは真横からの衝撃を受ける。破裂音のような大きな音。トトの束状になった触手と少年の回し蹴りが正面からぶつかったのだ。少年の攻撃による衝撃で数本千切れて落ちたものの、未だ少年の足を捕らえんと蠢く触手から少年は素早く距離を取る。少年はトトと触手をじいと観察していた。
 トトはこちらの様子を窺っている少年に向けて触手を伸ばした。獲物を狙う蛇のような動きで少年に放たれた無数の触手。少年は僅かに逡巡する素振りをみせてから、再び姿を消した。標的を見失い、動きを止める触手。次の瞬間。ぶぢり、ぶぢり。耳障りな音がして、宙に浮いていた触手が一斉にぼどぼどと床に落ちた。捻じ曲げられたような損傷。
「なんだ、思ったより簡単に壊せるんだ」
 少年のものらしき声だけが空間に響く。千切られた触手は砂状となり、空気中に霧散する。解除された星憑の異能特有の反応だ。
「うー……ん」
 自身の能力を一気に無力化されたトトは困ったように眉を下げた。相手の姿が見えないため、どうやって触手を破壊されたか観測できない。けれど。短い息を吐いたトトの表情が突然に冷めきったものに変わる。
 不意に足元から水音。トトのものではない。彼は動いていない。つまり、少年のものだ。
 ややあって違和感に気がついた少年は、視線を足下へ向けた。そうして自身の足が血溜まりに突っ込んでいることに驚く。間抜けな顔を晒してから、次に彼が悟ったのは右腕の違和感。肘と手首のちょうど中間辺り。そこから下の腕が無い。残るのは、まるで噛みちぎられたような痕。すぐ横でばぎぼぎ、と音。黒い大あぎとが少年の右腕だったものを貪っていた。
「……は?」
 少年の動揺は即、異能に影響を及ぼす。透明化していた身体はすっかり顕になっていた。
「体外に出た血液が見えてしまうのは大幅な減点対象だな。光の動きを捻じ曲げて擬似的に透明化しているんだろうけど、闇雲に放たれた攻撃で無効化されてしまうなんて酷い欠陥だ。どうせなら光以外も捻じ曲げれば攻撃も防げるはずだけれど、それをしないということは指定した対象しか捻じ曲げられないということかな」
 呆然と佇むことしか出来ない少年の前でトトが淡々と言い放つ。歯噛みした少年はトトを睨もうと顔を上げ──、口元を恐怖に引き攣らせながらヘタリとその場に座り込んだ。ほとんど怪人みたいな見た目の奴が身を竦ませ怯えている姿は滑稽そのものだった。
 少年がここまで恐怖に震えるのは、トトの背後、廊下を埋め尽くさんと犇めき合っている触手の群れのせいだ。薄ら寒い笑顔を浮かべたトトは少年に手を差し出す。
「その腕を一分以内に少しでも治せたら、後ろのこれを片付けてあげてもいいけど」
 トトは触手と少年、交互に視線を送りながら言う。途端、少年は必死の形相で噛みちぎられた腕に力を込め始めた。治せと言われても何をどうすればいいか見当もつかない。同じ時期に身体を弄られていた仲間の中には再生能力に長けた身体に改造された者もいた気がするが、足や腕、果ては臓器までが身体のあちこちから生えてきて、結局どうなったのだか──。
「残念。時間切れ」
 そんな声を聞いたか、聞かなかったか。反射的に聞き返そうとした少年の声は直後、夥しい数の触手が奏でる、嫌に湿っぽい音によって呑み込まれた。彼の身体ともども。少年を核に球を作った触手は徐々にその大きさを縮める。触手の隙間から赤黒い液体が滲み出る。滴り落ちた液体は廊下の両脇に設置されている排水溝へと流れていった。三分の一程度の大きさになった触手の塊を広げ、雑にプレスした少年だったものを廊下脇に捨て置いたトトは何事もなかったように目的の場所へと再び向かう。
 
 お粗末セキュリテイの施された長い長い通路を抜けて、ようやくトトは施設の中枢部へとたどり着いた。薄暗く、じめじめしていた通路とは打って変わり、照明の反射が目に痛いほどの白一色の空間だ。ややこしい回廊のような設計になっていて初見では迷子必至だが、トトは慣れた様子で中心部への出入り口を目指す。先程自身が造った次世代星憑に肉塊にされてしまった男性研究員を除けばここまで人の形をした・・・・・・人間とはただ一人として出会っていなかったが、やっと白衣姿の男性とまみえる。待ち構えていたように、その男性は廊下の真ん中に仁王立ちをしていた。
「ご子息」
 主任研究員「五島正司」のネームホルダーを下げた四十代後半の男性はやや疲れたような声でトトに呼びかけた。雨合羽のフードを外し、トトは「ご無沙汰してます」と僅かに相好を崩す。
「今日は何の用ですか」
「手隙になったので、久しぶりに顔を出してみようと思って」
 五島は「はあ」と聞こえよがしなため息を吐いてから「暇つぶしですか」と呆れた声をあげた。その風貌も声と違わず、日々に疲れた中年男性、と言った様子だ。
「有り体に言えば、そう」
「ご子息は変わりませんね。そう、五歳のときから何も変わらない」
 五島は再びわざとらしく大きなため息を吐く。トトは困ったように眉を下げて笑った。
「五島さんとももう十二年近い付き合いになるんですね」
「長いですねえ。個人的にはもう十分なんですけど」
「確かに、ずっと同じ部署ですもんね」
 そういえばそうだった、とでも言うような反応を返すトト。五島は短く乾いた笑いでそれに応じた。
「ご子息は最近面白いことありましたか?」
「はい、とっても。観察しがいのある面白い星憑きを見つけたので毎日楽しいです。最近は生命機能を維持したまま弄れるようになったので、格段に面白くて」
 にこにこ。トトは無邪気な笑顔を見せた。五島は今日一番のため息を吐くと「それはよかった」と言い捨てる。
「こっちの研究は順調ですか? さっき会った職員さんは『次世代星憑』がどうとか言ってましたけど、正直変わり映えしないなあと。この前おれがいじった保見健斗や阪崇仁の方が再生能力にも長けていると思うんですよ。まあ、阪は失敗しちゃったんですけど──」
 トトの言葉から、職員・・に被害が及んだことを察した五島の顔が引き攣る。研究所にやって来るトトと末端の職員とその研究対象が鉢合わせすることは即ち死と同義だった。全く酷い厄災にも程がある。
「あんた、本当ろくでもないわ」
 ぺらぺらと上機嫌で話し続けているトトに対し、思わずまろびでてしまった本音。慌てて口に手を当てて封をする。トトはまるで凪のような表情で五島を見ていた。その背からは幾重にも広がった黒い触手が蠢いている。五島は甲高い悲鳴を上げて後退り、尻餅をつく。そのまま後退を続けようとして、しかしすぐに背を壁にぶつけてしまった。
 こつ、と靴音を立ててトトが五島に近づく。五島は喉を鳴らし、弱々しく首を横に振った。
「五島さん。おれを怒らせないでくださいよ」
 蠢動する触手の影が五島を覆う。いよいよ五島は正気を保てなくなったのか、半ば白目を剥いてしまっている。一般的な人間の前で少し異能を使うとすぐにこうだ。トトは冷めたため息を吐いた。根源的恐怖でも煽るのだろうか。話が出来ないレベルで恐怖されるのは本意ではない。五島は話の通じる方なので穏便に片付けたいのだ。ただ、上下関係をしっかり弁えていてくれさえば良い。
「その姿はいつ見ても吐き気がする」
 条件に合致する身体を手に入れたいだけなのに、とトトが頭を掻いていると後ろから声がした。この声を嫌というほど知っているトトは振り向かずに「あんたお呼びじゃないんだよ」と刺々しい言葉を返す。ほとんど同時に五島も「所長!」と声を上げていた。
「お前が呼んでなくても、僕に用があるんだよ。正規の手続きを踏んでくれれば愚息とは言え迎え入れるとあれほど言っているのに。汚れた格好で歩き回らないでもらいたい」
 トトと同じ目の形の、白衣を纏った中年の男性が迷惑そうな顔で凄んだ。柔和な口調なのに有無を言わせぬ圧力が確かに感じられる。トトはうんざりしたようにゆっくりと後ろを向いた。
「この格好で本館を歩き回ったことは悪いと思うけど、あんたももうちょっとマシな人間採用し採ったらどうなの。あいつらが造る星憑全員攻撃性高すぎるよ。実用に耐えない」
 口をとがらせ拗ねたように言うトト。男は呆れたように「だから正規の手続きを踏めと」とため息を吐く。それから、依然トトの背後で蠢き続けている触手の群れを一瞥した。
「嫌」
「何故?」
「あんたに施し受けるみたいだから。今日ももう帰る」
 ふん、と完全に臍を曲げたトトはくるりと踵を返した。その一瞬で巨大な存在感を放っていた触手は立所に煙のように消える。
「おい、もしかして出るときは正面から出るのか? せめてその合羽を──」
 立ち去るトトの背中に声をかければ、次の瞬間には丸めた雨合羽が飛んでくる。ぎょっとしながらもそれを受け止めた男はすっかり血飛沫で汚れきってしまった自身の身体と近くの床をやれやれと眺めた。
「五島主任、平気かな?」
「なん、とか」
 男の問いかけに対する答え通り、満身創痍と言った様子の五島が壁にもたれかかりながら立ち上がった。トトの異能を目の当たりにし、精神的にかなり疲弊していた。
「久しぶりに、見ると、どうしても」
 嘔吐きながらも話そうとする五島。首を振ってそれを制した男は「そろそろ清掃を呼ぼう」とつぶやき自身の携帯端末を操作した。直後、五島が吐瀉物を床にぶちまける。飛沫が男の足元にかかるも、男は微塵も動じることなく「救護も要るな」とぼやいた。