2−10

 由瀬通。能力『瞬間移動』。それも練度が高く、他人を連れて移動出来る。
 一週間近くかけて、鵜原が探し出した星憑きだ。
 一応警察からも総能研の提供する星憑きデータベースにアクセス出来るが、権利を持つのは部長クラス以上、対象端末どころか施設内のネットワーク、システム等々全てのログを取られる割に手にすることが出来る情報は微々たるもの。ほとんどのデータが閲覧不可。あくまで「情報を提供している」というていだけの存在である。
 そこで鵜原が取った方法は、上司や同僚に隠れての地道な聞き込み捜査だった。何しろ通常業務の合間で、しかも周囲に気取られぬよう神経を使いながら全くの一人で生徒たちの話を聞く。佐波沼市内には中高合わせてざっと三十弱の学校がある。決して多くはないが、骨が折れない道理はない。並行してネット上の噂収集も行うなど寝食を忘れて探していた。家族にはとうに呆れられて放任されている。
 そうしてようやく辿り着いた重要参考人と思しき星憑き、由瀬。小さな頃から当たり前のように能力を使って小さな悪戯を繰り返していたらしく、彼が能力を使うことが既に「日常」と化していたため、話題に上り辛かったのがなかなか彼まで辿り着けなかった原因だった。
 人当たりは良好。彼を悪人だと見ている人間は一人も居なかった。曰く、ただのクソガキだから本当に悪いことなんか出来ない。
(とは言うけど、口先だけでそういう子を利用する悪いやつなんか五万といるわけで)
 龍行高校、現在時刻は放課後に当たる。ビルの二階、窓際のカウンター席から校門を監視することが出来るコーヒーショップで鵜原は軽食を取っていた。瞬間移動の使い手にこういった張り込みが効くのかどうか怪しいところはあったが、友人づきあいも多いと聞いているし連れ立って出てくることもあるだろう。
「うお、あいつデカいな」
 校門から出てきた周囲より頭二つくらい抜けて身長の高い男子生徒の姿に思わず感嘆の声が漏れる。
「身長だけじゃなくて、態度も大きいですよ」
 不意に後ろから声をかけられた鵜原は素早く腰を浮かしつつ振り返る。にこにこと愛想のいい笑顔が目に飛び込む。声をかけてきた少年の手にはキッシュとカフェオレが乗ったトレー。隣の席にそれを置くと「隣失礼します」と椅子に腰掛けた。
「きみは……」
「龍行の生徒で、由瀬の友人です」
 得体の知れない少年に、鵜原の表情は自然と強張った。
「さっき、『由瀬』って口走ってたの聞いちゃって。僕の友人なんで」
 鵜原は一旦表情を緩めた。
「聞き間違いか、僕以外の人の声を拾ったんじゃないか」
 努めて冷静な声色で鵜原は言う。対象の名前を口走ることなどあり得ないが、先程の独り言を聞かれてしまったのは痛い。張り込みは通常複数人で行うため、対象周辺の事象について話してしまうこともある。その癖が出てしまった。寝不足が祟ったか。
 内心の動揺を悟られぬよう、鵜原は少年の目を真っ直ぐ見る。左右で色が違う。奇抜な髪と瞳の色を特徴とする星憑きの中でもオッドアイは珍しい。
「じゃあ、武藤ですか? 少し前にまた騒ぎの中心になってましたし」
 知らない名前が出てきた。僅かに顔に出てしまったせいか、返答が遅れたせいか、少年は「あれ、僕はてっきり総能研の方かと」と目を瞬かせた。嫌な奴らと一緒にされたな、と鵜原はこっそり毒づく。
「僕の勘違いでしたね。ごめんなさい。由瀬は異能を無駄遣いする天才なので、遂に目を付けられたかと思って」
「いや、誤解が解けたならいい」
 少年はしおらしく俯いたあと、キッシュにフォークを突き立てた。黙々と食事を摂る少年に、鵜原は少々拍子抜けしてしまった。もう少し突っ込まれると思ったが。それにしても、異能を無駄遣いする天才、と来たか。
 由瀬通と近しい人物ならば、もう少し彼の事情を聞けるかもしれない。うまく誘導すれば、彼と接触する機会も作れる。つい、打算が働いた。
「きみは、由瀬くんとは仲がいいの」
 カフェオレを口に含んでいた少年は驚いた顔をしてからそれを飲み下し、「やっぱり、監視してたんですか」と警戒した表情を向けてきた。嘘は吐いていないが、一連のやり取りの心象は良くないだろう。少年の問いに首を横に振って答えてから、鵜原は続ける。
「話をして、必要がありそうなら保護をするつもりだった」スーツの内ポケットから警察手帳を出して見せる。「見知らぬ人間にいきなり鎌をかけるくらい、由瀬くんのことが心配みたいだけれど、最近、彼の態度に不審なところがあったりしないかな。元気がなさそうで悩んでいるだとか、逆に妙に羽振りがよくなっただとか」
「特には」
 暫しの黙考のちの答え。鵜原は周囲を見渡し、小声であれば他の客や店員に声が届かないことを確認してから、徐に口を開いた。
「もしかしたら、彼は悪事に手を染めているかもしれないんだ。悪いひとに体の良い駒として使われているかもしれない」
 少年は一瞬驚いた表情をしてから、悔しそうに目を伏せた。
「だから異能を無闇に使うなって、何度も言っていたのに」
 ぼそりと呟いた少年は「それで、由瀬を連れてきたら保護してくれるんですか」と尋ねる。
「それは由瀬くんに話を聞いてからだけれど──」
 鵜原が答えている最中に、少年は立ち上がるとトレーを持った。「連れてくるので、外で待っていてもらってもいいですか」と有無を言わせぬ勢いで鵜原に迫り、鵜原が目を瞬かせて頷いたのを確認するが早いか、トレーを返却口に置いて早足で出て行ってしまう。少年が立ち去ってから暫し呆然としてしまった鵜原は半ばぼんやりしたまま残りのコーヒーを啜った。
 
「こんちゃす」
 店の外で待っていた鵜原の前に現れた由瀬通は、噂通りの少年だった。へらへらと軽薄そうな態度は、鵜原にはある種の他人に対するバリアにも思えた。
「なんか俺探してるって聞いて。おじさんがそうっすよね」
 由瀬通は彼の横に居る少年と眼の前の鵜原へと、順に視線を送った。頷いた鵜原は由瀬通に自身の身分と名前を名乗り、手帳を見せる。驚いたのか、動きを失くした由瀬通に鵜原は「心当たりが、あるかい」と畳み掛けるように尋ねた。
「んー、確かに、俺は悪戯とか好きだけど、そんなお巡りさんに怒られるよーなことまではしてない、よな?」
 阿るような視線を、由瀬通は少年の方に送った。少年は全く表情を変えることなく「おれに聞くこと?」と尋ね返した。全く以て少年の言う通りだ、と鵜原は思う。はぐらかしているのか、あの監視カメラ映像とは本当に無関係なのか、判断が付きかねた鵜原は「見てほしいものがある」と自身の私用スマホを取り出した。
「うぇえ……」
 明らかにネガティブな反応を示す由瀬通。病室のベッドに横たわる上春が突然現れた人影によって忽然と姿を消してしまう瞬間を捉えた映像だ。それを見る由瀬通の顔色から四肢の動き、息遣い、瞳の変化──鵜原は五感を研ぎ澄ませて具に観察する。
 忙しなく動かされる指先、微かに感じる冷や汗特有の匂い、一度大きく吸われた息のあと、平静を装うような浅く長い呼吸。
 鵜原でなくても、明らかに分かる程だった。由瀬通はこの映像に心当たりがあり、現在酷く動揺していると。
「ここじゃ何だ。店に入って詳しい話を──」
 ぎこちない動きでスマホから顔を上げた由瀬通の手首を鵜原が掴む。それ由瀬通は思い切り振り払い、脱兎の如く逃げ出した。
「あっ」
 走って逃げるとは予想外だ。能力を使えば立場がますます悪くなると判断したのだろうか。慌てた鵜原は手を伸ばして彼を追いかける。鵜原ももちろん鍛えてはいるが、相手は運動神経抜群の男子高校生。まともな追いかけっこなら勝ち目は殆どない。しかしこちらには頭に叩き込んだ地図、経験と勘がある。
 この辺りで、追手を撒くなら──由瀬通の立場で想像するといくつかのルートがすぐに浮かぶ。由瀬通が背後を窺った直後、彼の予想進路と交わる小路へと入る。読み通り、息を弾ませた由瀬通が鵜原の正面から現れた。
「おつかれさん」
 ビルとビルの間、逃げ場は後ろしかない。鵜原はとっ捕まえようと由瀬通に迫る。
「げえッ──、なんつって!」
 目を剥き舌を出した由瀬通は、瞬きの間に鵜原の前から姿を消した。空振りする鵜原の両腕、そして、後頭部に物凄い衝撃。鈍器による痛烈な殴打。
「本気で逃げるなら、お巡りさんが見えなくなった瞬間、移動するっての」
 うつ伏せで倒れ込んだ鵜原にケラケラと由瀬通は笑った。一気に肝が冷え、しかし腹が煮えくり返りそうにもなる。殴られた後頭部からの出血が酷くなった気がした。こいつは『あく』だ。まんまと袋小路に追い込まれたのはこちらだった。
「まさか、警察を相手する気……」
「星憑き案件だと分かれば、総能研が引き取るはずだから、鵜原さんは独断、単独で動いていたわけですよね。さて、そんな一公僕が居なくなったところで星憑き絡みだと分かれば、失踪事件など無かったことに!」
 ひたひたと足音を立てて、鵜原に近づくのは由瀬通の友人である少年。彼が話を始めた途端、由瀬通が一歩退いたのを見て、ここには明確な上下関係があると悟る。引きつった顔の鵜原に、薄く笑う少年が尋ねる。
「──そんなふうにならないよう、星憑きを相手にするときは、それなりの武装をしたほうがいいですよ」
 反射的に鵜原は上着の内ポケットに仕舞っている拳銃を取り出した。子どもに拳銃を向けるなんてどうかしている──、僅かに残った正気がそう囁き終えるよりも早く、少年の背から生えた触手が鵜原の手首に巻きつき、締め上げた。無情な音を立てて拳銃が地面に転がる。無理矢理膝立ちの姿勢にさせられた鵜原の腹に、拳状に固められた触手の束が抉り上げるような殴打を見舞う。
 通が「大助のは戦車くらい持ってこないと無理だろ……」と呆れた調子で呟いているのを、意識が遠のきかけている鵜原の耳はしかし拾った。
「……ばけ……もの」
「飼うって決めたのは国なんで」
 呆れたように笑う大助だったが、硝子玉のようなその目からはなんの感情も読み取ることが出来なかった。
 
「さて」意識を手放した鵜原を一瞥してから、大助は通に向き直ると手を打った。凪のような真顔。通はびくりと体を震わせる。「後処理は任せたよ」
 まっすぐな視線を通に送る。じりじりと灼かれるような痛みが通の胸を苛んだ。
「あと、しょり」
 ようやく絞り出せた言葉は大助の言葉の繰り返し。冷ややかな視線と声が大助から注がれる。
「意識のないうちにしたほうがいいんじゃない。ああ、顔が見たくないなら適当な袋持ってこようか? 他に道具が必要? なら──」
「俺が、俺がするの? 大助じゃなくて?」
 畳み掛ける大助を遮った通は立てた人差し指で自分を指し、震える声で尋ねる。大助は呆れてものも言えぬ様子で通を見ていた。つまり、「俺が、するんだ……」。人差し指は力なく垂れた。
「決まってるでしょ。通のミスなんだから」
「でも、別に、バレたって大丈夫だし、処理しなくても──」
 大助が言ったように総能研が引き取って公にはならないのだから、大したことではない、とどうにか訴えたくて、愕然とした表情から一転へらりと相好を崩した通は、大助の触手による殴打を受けて吹き飛んだ。痛みと衝撃でくらくらしながら何とか持ち上げた身体は、次の瞬間には触手で簀巻きにされて宙に浮く。
「気が変わった。おれの前で、おれが指示したようにやれ」
 通の眉間に指を突きつけ、大助は言う。
「い、嫌だっ、それは嫌……っ、ちゃんとやるからぁ」
「遅いんだよ。通は何も学ばないな。おれが提示する初めの方法は考えうる限り『一番楽な方法』だって何度も伝えているだろ。それを拒んだのは通じゃないか」
 指先で通の眉間を弾いた大助は触手の拘束を解くと、べしゃりと地面に落ちた通を覗き込むようにして「まずは彼を地下室に運べ」と薄ら寒い笑顔を向けた。