2-6

 蝉がうるさい。
 炎天下を避け、技術棟近くの小さな雑木林の木陰に逃げ込んできたものの、同じく避暑をしながらその命を燃やし尽くさんとばかりに鳴く蝉の大音響に重光はそろそろ耳が痛くなりそうだった。
「うぜー」
 がん、と一番近くの木を蹴りつける。無論、蝉の声が止むことはなかった。近くで大砲を撃っても鳴き止まなかったと言われている彼らである。
 夏嫌いなんだよな、暑いし煩いし。と木にもたれかかって座り込み重光はため息を吐いた。校内には冷房の効いているところもあるが、当然そこには生徒らが群がっている。そんなところに涼みに行くのは御免だ。蹴散らしてもいいが、たぶんいつひが怒る。とんでもなく怒る。そもそも学園祭だか文化祭だかをサボっている時点で怒っている。とはいえ、どうせ趣味の合う人間と学校中巡り歩いているだろう。
 木の根と雑草、苔が絡むように這う地面をぼんやりと眺める。
「……お遊戯会なんざ、誰がやるかよ」
「おや、武藤も立派な『中二病』と見える」
 ぼそりと独りごちたのを、最悪な奴に拾われてしまった。顔を上げた重光の鼻先に、腰を折って覗き込んでいた声の主の垂れた前髪がかかる。赤い髪。真夏だと言うのに長袖でかつ丈の長いカーディガンを身に付けた光汰が微笑んでいた。
「武藤、安土唯誓いちかに会ったと言うのは本当かい?」
「……は?」
 誰だそれ、と重光は光汰を睨みつける。「つーか近ぇよ」鬱陶しそうにした直後、光汰の額に思い切り頭突を御見舞する。短く呻いて仰け反った光汰の胴を足裏で蹴りつけた重光は聞かせるような舌打ちをして、雑木林から立ち去ろうとした。が、勿論、光汰が「まだ話の途中だぞ」と手首を掴み、逃がすはずもない。最大級のため息を吐いた重光は諦めたように足を止めた。
「先日賀川と一緒に安土に会いに行ったと聞いている」
「あー、あいつな。ムカつくやつな。次あったらボコボコにしてやるって決めてる」
 抑揚なく言い終えた重光は「これでいい?」と光汰を睨んだ。
「安土は、赤い花をモチーフにしたものを身に着けたり持ったりしていなかったかい?」
「知らねーよ。そういうのいつひに聞いたほうが早いだろ」
「賀川は学園祭を大変満喫している様子だったからな。話しかけては邪魔をしてしまうかなと遠慮したんだ」
「俺の休息はどーでもいいってか」
 ふん、と拗ねたように鼻を鳴らした重光は光汰の手を振り払うと「そんじゃ俺も学園祭楽しむんで邪魔しないでくださーい」と両手をポケットに突っ込み、足早に校舎へと向かう。その背中に肩を竦めた光汰は「俺も行くか」と重光に蹴られた胸を軽く払った。
 
 ◆◆
 
 不可解な殺人事件が起きて、失踪者が複数出ているというのに学園祭なんか開催するな。
 髭右近がそう呟くと、そんなことをいちいち気にしていたら疲れるだけだよ、と返事があった。あ、ほら、あそこ。あの子を狙ってみてね。続けて指示される。
 やけに明瞭な頭は、彼の指示を素直に受け入れた。『あの子』──華奢な、性別不明の生徒は友人らしき数人と談笑しながら、模擬店で買ったであろう色とりどりのかき氷を食べていた。呑気なもんだな。再び口から漏れた文句に、彼が呆れたように小さなため息を吐いた。
 大丈夫、あんな能天気そうなやつの精神、簡単に乗っ取れる。
 
 何か失礼なことを言われた気がして、いつひは不意に顔を上げた。なんとなく見上げた視線の先は、学年棟校舎の三階。ちらほら人影が見える。あの辺りは展示も模擬店もなかったから、武藤くんみたいな人がうろついているのかな、などと思った直後。
 やにわに、いつひの視線の先がざわついた。小さな人影の動きだけでも何か起こったと分かるくらい、人影たちは狼狽していた。
「なんかあったのかな」
 もしかして武藤くんがキレて暴れてる? でもそうならもうすぐ窓ガラスが割れて人が降ってきそうなものだけど。
「どうかしましたか? 賀川さん」
「ん、ううん、何でもない」
 ぼうっと三階を眺めているいつひを心配した華日が顔を覗き込んできたのを、かぶりを振って誤魔化した。奇抜な色をした甘い水となったかき氷を飲み干すと、文化祭のパンフレットを開いて「あ、もうすぐ有志発表有志で八組の瀬野ちゃんたちのバンドやるじゃん。聴きに行きたい!」と提案する。ホームルームの展示や模擬店は回り終えたところだったので、そうしよっか、と一行は有志発表の舞台である体育館へと移動し始めた。
 三階の動向がまだ少し気になっていたいつひは去り際にもう一度三階を見上げたが、特に変化は見られなかった。
 
 中庭から体育館に向かうには一度校門前の広場を通るルートが一番早い。渡り廊下を横切ったところで、いつひは何だか違和感を覚えた。喧騒が不穏だ。言葉ではうまく説明出来ないが、このざわめきは祭り特有のものではない。そっと華日たちの様子を窺ってみるが、気にする様子は見られない。ということは、きっといつひの勘は当たっている。不穏な喧騒に日々晒されているいつひは喧騒の危険度をジャッジすることが出来た。誇らしいような、誇らしくないような。多分後者だ。
「なんだろ、なんか、叫び声聞こえない?」
 いつひが不思議そうにして立ち止まると、心配した華日が「そうですか?」と同じく立ち止まって耳を澄ましてくれる。「どうでしょう、確かに校門のほうが騒がしいような──」
 そう華日が視線を校門に移した瞬間。黒い影の軍団が凄まじい音と共に、一斉に校門を抜けて入ってきた。脳の処理が追いつかず、少しの間呆けてしまったいつひが、音の正体が羽音だと理解するのと青ざめるのは同時だった。夥しい数のカラスがまさに軍団となって学校敷地内に入り込んでいた。カラスの群れは広場の中央付近に先頭が到達したところで左右と正面の三方向に分かれる。学校中を蹂躙してやらんとする勢いに、生徒たちは悲鳴とともに逃げ出した。
「か、カラスさん!?」
「敬称つけてる場合じゃないよ!」
 目を丸くしている華日にツッコミを入れたいつひだが、そんなツッコミをしている場合でもない、と聞いていた人間は思った。
 屋内に逃げ込んだ生徒らは窓や扉を閉じてカラスの侵入を防いでいるが、恐ろしいことにカラスは自身のダメージも顧みず全力の体当たりを繰り返している。すでに何羽も墜落し動かなくなっている。ホラー映画でしか見たことのない光景に、いつひは「無理でしょ」と顔を引き攣らせた。
「がっはっは! 他愛のない!」
 楽しいお祭ムードから一変、恐怖のパニックホラーの現場と化したところにあまりにも不釣り合いな、底抜けに明るい大声が響く。往代の武将か、王か。いつひが怪訝な顔を向けた先に、髭面の男がその太い腕を組み、地上から一メートルほど中空に浮いていた。
「老け顔だなあ」
 星憑きということは自動的に現在高校生以下である。立派な髭を蓄えているということもあって、十は老けて見えた。
「ダンディとか言い給え、そこ」
 いつひの言葉に気分を害した様子の髭面が髭を撫でながら不服そうに指を差してくる。
「ボク髭嫌いなんだよね。汚く見えるじゃん」
「きれいに整えていたら、素敵だと思いますよ!」
 華日が困った顔でフォローを入れる。彼女は今も校舎に体当たりをし続けているカラスの方を頑なに見ようとしないから、恐らく現実逃避に必死なのだろう。
「っていうかきみ、何? 何の用?」
 一歩前に出たいつひが髭面に詰問する。髭面は面食らったように目を丸くしてから、「私は抜里仁志ぬくりひとしだ」と応えた。
「何そのモグリを見る目。やめてくんない? あとカラスも止めてくんない?」
「カラスは私の管轄外だ。──家山いえやま
 抜里がそう彼の背後に呼びかけると、抜里の巨体の影からひょこりと小さな人影が顔を出した。綿あめみたいなふわふわのショートカット、きらきらのアイメイク、耳元では大ぶりの星モチーフのピアスが揺れている。粗野な大男である抜里と並ぶとどことなく犯罪臭が漂ってくるような美少女だ。彼女も宙に浮いている。抜里の能力が影響しているのだろう。家山はいつひと目を合わせると、再び抜里の後ろに引っ込んでしまった。
「なんかムカつく」
 唇を尖らせたいつひが呟くと、抜里が青い顔を向けた。
「馬鹿、家山を怒らせるな」
 いつひが眉を寄せた瞬間、華日の半ば悲鳴のような「賀川さん!」という声。何、と聞き返す間もなく、いつひは校舎を執拗に襲撃し続けていたカラスがいつひに向かって来ていることを悟った。しかし、動けない。声すら出ない。からからの口がなんとか紡ごうとしたのは、彼の名前だった。
 でももう、間に合わない。「終わった」と思う瞬間は何度もあったけれど、今回は洒落にならない。いつひは瞼を強く瞑る。一秒。あの羽音が突如止んだ。再び一秒待って、薄目を開けてみる。眼前に広がるのは動きを止めたカラスの群れだった。カラスたちだけ時間から取り残されたような光景に唖然とするいつひたちの前。「遅くなってすまない」とマント、否、ロングカーディガンをたなびかせて現れるのは生徒会長羽澄光汰だった。
 いつひたち生徒に校舎に避難するように告げた光汰は乱入者に峻烈な視線を向けると「君たちは何だ。応答次第では武力行使も辞さない」と言い放つ。
 空気が震えそうな光汰の怒りに触れて尚、愉快そうに不敵な笑みを浮かべた抜里は「私たちは星憑き解放戦線だ。今日は、力試しにやってきた」と堂々と答える。光汰の腕章を一瞥すると「龍行の生徒会長、羽澄光汰だな」と試すような視線を寄越した。乗り込みをかけるに足る胆力はあるようだ。光汰の表情はますます強張った。
「そんな自分勝手な理由でうちの生徒たちを襲ったのか。ならばもう話し合いの余地は無い」
 尋常ならざる怒気。流石に抜里と家山も怖気づいた様子で一歩退く。
「夏生さんがそろそろ限界だって言ってたっす」
 光汰と動きを止められたカラスの間に滑り込むようにやって来た湊叶が光汰にこっそりと伝える。光汰が了承の意味で頷くと、湊叶は一度深呼吸をしたのち、夏生の能力で動きを止められているカラスの目の前に自身の能力で大きな炎を灯した。直後、けたたましい鳴き声と羽音。炎への原始的恐怖に苛まれたカラスがそれとほぼ同時に『固定』から解放され、狂ったように空へ舞い上がっていった。鈍臭い個体は地面へ突っ込み気絶している。家山の大きな舌打ちが聞こえた。
「焼き鳥大量生産せずに済んで助かった」
 湊叶は冗談混じりに安堵の溜息を漏らす。最も最悪な展開は火だるまになったカラスが闇雲に飛び回って周囲に引火させたりすることだったが、考えうる限り最良の結果となったようだ。
「髭と言い、こいつと言い、胸糞悪い能力の奴がイキってんの嫌になるな」
 湊叶が家山を見遣りながらぼそりと零す。やはり抜里が顔色を変えると「いッ、家山。他に使役できる動物は居なかったか!」とやたらと大声で問いかけた。
「いなーい。わたしもう飽きちゃった。下ろして」
 頬を膨らませ、甘ったるい声を上げた家山は抜里のことを肘でつつく。抜里は照れているのか困っているのか微妙な顔をしてから、まるで取り繕うように眉を寄せて「分かった」と家山へ使用している能力を解除した。綿あめが落ちるように着地した家山は「帰っていい?」と小首を傾げた。
「ムッ、う、うむぅ」
 歯切れの悪さここに極まれり。光汰が「もしかして、彼は彼女にホの字なのかな」と耳打ちしてくるので湊叶は普通に噎せた。奴らの事情はどうでもいいけれど、一人減るならそれは有難い話だ。
「こらこらこら〜。家山〜、さぼるなァ〜」
 湊叶の安堵を打ち消すように、まとわりつくような声。新たに現れた部外者は、見たことのある男だった。同じく気がついた光汰も目を見開く。
「保見!」
「知り合いみてぇに呼ぶの勘弁なんですけどぉ」
 じと、と保見は光汰を睨めつける。前に話したときより、目つきが陰湿になっていた。瞳は淀み、濁っている。こうなってしまった『何か』がありそうだ。光汰は直感した。
 そんな光汰の内心など知る由もない保見は腰に下げていた拡声器を手に取る。「アー、アー。マイクチェック、マイクチェック」ふざけ調子でハウリングを撒き散らす。厭な予感がする。顔をしかめた光汰が拡声器を奪おうとすると、保見はひらりと身を躱し、ニタニタと下卑た笑みを浮かべた。
「皆さん、知ってますかあ。賀川いつひの家はあ、とんでもないカルトだって──」
 拡声器を使い張り上げられた言葉は、光汰にも湊叶にも衝撃的なものだった。カルト。宗教的崇拝。いい意味での用例は、少なくとも二人は知らない。
「ッ、噂を皆の前で言いふらすのはやめ……」
「噂じゃない」
 へらへらと笑っていた保見が急に真剣な顔をする。豹変を間近で見た光汰は息を呑んだ。目が据わっている。
「噂なんかじゃない。俺の母さんは賀川のクソ親に騙されて、」
 保見の訴えは、しかし突如振るわれた凶拳によって掻き消えた。いつの間にか現れていた巨大な人影。気絶させた保見を能面のような顔で見下ろすのは重光だった。光汰も目を瞬かせている。
「武藤も、瞬間移動の能力を持っていたかな」
 冗談交じりに光汰は重光に声をかけるも、一瞥すらされない。感情の伺えない顔のまま、重光は視線を抜里に移す。家山の姿は無かった。きっと帰ってしまったのだろう。
 重光に睨まれた抜里は「貴様は」と眉を寄せる。後に続くはずだった言葉を重光が聞くことはなかった。宙に浮いている抜里の足を掴むと、抵抗させる暇もなく即地面に叩きつける。耳を塞ぎたくなるような鈍い音と蛙が潰れたときのような声。重光の白い肌に血飛沫が付いた。
 背後から肥大した腕が重光を襲う。異形化した保見のものだ。前回と違い、表情はまともなままなので意思疎通の希望は持てそうだ。重光がそれを望んでいるかは別として。
 圧倒的な質量で圧し潰さんと迫る異形の腕を、重光はぴくりとも眉を動かさず、ただ静かに伸ばした片手で迎える。肉がぶつかり、そして抉れる音。聞き慣れない水音に、二人の一番近くにいた光汰は暫し固まってしまった。どちゃり。肉塊が地に叩きつけられる。事態を光汰よりも早く飲み込んだ湊叶がその場で蹲った。湊叶の吐瀉を掻き消すような保見の絶叫。異形化の能力を解いたとき、本来の腕がどうなっているのだろうか。光汰は地面の肉塊を見る。異形化前の保見の腕を削いでもこの体積には及ばないだろう。
 皮と骨で繋がったような状態の異形の腕は当然、前腕を持ち上げることは勿論、動かすことも出来ない。重光は少しの間、痛みに悶える保見を眺めていたが、不意に追撃を行わんと動き出した。
「やめろ、武藤! やりすぎだ!」
 我に返った光汰が重光の前に飛び込む。血の匂いにむせ返りそうになるのを堪え、光汰はまっすぐに重光の目を見つめた。目線は合っているが、それだけだ。重光には光汰のことは見えていない。突然出現した障害物とでも思っているのだろう、雑に押し退けようとした重光の手を光汰は掴む。振り払えないことに気がついた重光はようやく光汰と目を合わせた。心ここにあらずだ。光汰は顔をしかめた。
「賀川についてあることないこと言われて怒るのは分かったけれど、もういいだろう」
「……いつひの話をするな」
 重光の瞳が僅かに動く。光汰は頷いた。
「よし、そう約束して、彼らには帰ってもらおう」
「そんな簡単に保見が引き下がるわけないでしょうが」
 呆れの混じった嘲笑。本日四人目となる闖入者の声だ。目元が完全に隠れる前髪から覗くのは昏い金色こんじきの瞳。青白い肌、全身黒で統一した服、そして日傘。一際濃い影を連れた彼、八草千景やくさちかげは、笑う。
「保見は、大層な思想を掲げて仲間を集めたけれど、それは建前。本当にしたかったのは、彼の母親から全てを奪った賀川家を断罪することなんだし」
 ね、と保見を覗き込む。立っているのもやっとの保見はそれに深い呼吸で応えた。否定なのか肯定なのか。真意はともかくとして、重光の表情が再び強ばる。いつひの話をするなと言ったのに。
「異能解放戦線って体を取れば、強力な異能を持ちつつ燻っている星憑きが仲間になってくれるかもって思ったんだろうけど、思想が弱すぎた。これじゃ賀川家への襲撃も無理そうってことで、何を焦ったか今に至る、ってところ」
 八草は滔々と語り終えると再び保見を覗き込んだ。今回は返事はなく、ただ少し非難めいた視線が返ってくる。どうして全てバラしてしまうのだ、とでも言いたげな。それを八草は小さく微笑んで躱す。
「ちょっとちょっと、ちょっとぉ!」
 校舎の方角から少し震える大声。重光が弾かれたように振り返る。声と同じく震える両足でしかし仁王立ちをしているのはいつひだった。拡声器を使った保見の訴えが耳に入ったのだろう。
「黙って聞いてれば、好き勝手言ってくれるなあ! ボクんちはそんな変な家じゃないよ! まあお母さんはオカシイとこあるけど」
 自信なさげに消えていった語尾を無かったことにするかのように頭をふるふると左右に振ったいつひは周囲の人間に順に視線を送りながら、自身の主張を続ける。「とにかく、そこのしつこい保見くんの言うことはでっちあげっていうか──」
 最後に保見と目を合わせる。保見から注がれるのは、落胆とも諦念とも、失望ともつかぬ色をした目。しかし、あまりに凪いだ瞳にいつひはたじろいでしまった。
「な、なんだよ、ボクにどうしろって言うんだよ……」
 いつひの目が潤んだのとほとんど同時。重光が保見の頭を思い切り踏みつけていた。息を呑んだ光汰がすぐに重光に体当たりをして退かし、保見の容態を確認する。あまりに容赦のない勢いだったから、頭蓋が陥没するか首の骨が折れてしまったかと思ったが致命的なダメージには至っていないようだ。胸を撫で下ろし、光汰は八草に顔を向ける。恐らく彼がまとめ役、もしくは立場・・が一番上。
「きみ、今日のところは一旦矛を収めてくれないか。熱い風呂にでも入って一度気を静めてから、まだ何か言いたいことがあるなら俺が窓口になって賀川に繋ぐ。龍行のみなを人質に取るような真似は金輪際やめてくれ」
「生徒会長さんは、随分居丈高なお願いをするんだ」
 ふうん、と八草は人を食ったような態度で返す。「そもそも生徒会長が窓口になる必要ないよね」
「いいや、きみたちが龍行に乗り込んできた時点で、俺の案件だ」
 何もおかしくはない、とでも言うように光汰は堂々と言い切る。八草はしばらく呆気に取られていたが「え、やば」と短く笑った。この反応に関してはいつひも激しく同意する。
「まあ、決めるのは千景じゃないし。保見、どうするの?」
 八草は視線を少し下にずらして、保見に話を振る。しかしすぐに応答が期待出来ないと悟ると小さなため息を吐いた。
「仕方ないか」
 そう呟いた八草は保見の斜め後方に移動する。不審そうな目を向けた光汰の前で、保見は足先の方からずるりと地面に沈んでいく。
「ッ!?」
 反射的に八草の手首を掴む。この状況、八草が何かしたと考えない方が不自然だ。
「大丈夫、きちんと連れ帰るだけだけ」
 八草はへらへらと笑って答えた。目元が髪で殆ど隠れているせいで、真意が見え辛い。とは言え、光汰は基本人を信じる人間だ。「わかった」と頷くと、八草を掴む手を離した。このやり取りの間に、保見の身体はすっかり八草の影の中に入ってしまっていた。
「ブラックホールみたいだ」
 光汰が呟くと「引力は無いから、蟻地獄の方が近いよー」と八草は答える。続いて抜里も同様に収納してしまうと、笑顔のまま「それじゃ」と手を振って、こちらが拍子抜けするほどあっさりと出て行ってしまった。見た限り、動作に支障はなさそうだ。
 八草が立ち去って暫し、光汰といつひがほとんど同時に息をついた。保見は八草の影の中に落ちて気を失ったのか、重光に抉られ打ち捨てられた異形の肉塊は消失していた。ただ、血の痕は残っている。保見本体からの出血なのだろう。
「もう、なんで今日なんだよ」
 いつひがへなへなとその場に座り込む。光汰もその表情に影を落とした。年に一度の学園祭だというのに、因縁をつけられてめちゃくちゃにされてしまうなんて。お祭り好きのいつひには尚更効いた。勿論、狙ってのことだろう。
「……許さん」
 ごくごく小さな声で呟かれたいつひの声は誰に拾われることもなかった。